2008年10月8日水曜日

頭の体操には良いが…

まあ読み進めれば直ぐわかる事ですが、棚橋弘季氏の文章は走り書きなのか推敲能力が低く、読む度に頭の中を掻きむしられて整理を要求させられる。

WHATとHOWのあいだの"溝"
インタラクティブ・システムのUIデザインにおいて何故、人間中心設計が必要かという肝の部分の話です。

要するに、コンピュータは人の思考がわからないし、人はコンピュータの複雑な計算がわからないから、その仲介をするUIデザインは人間の使う側に特化して作らねばならないというヒューマンインターフェースの重要性を説いている。
こんな当たり前の事、パソコン初心者でもOSの件で教わる常識を態々自動車を持ち出して長々と説明してくれている。

自動車の設計なら人間中心設計プロセスは必要ない


飽く迄プロセスはという事で、更に読み進めれば直ぐ理解も出来るのだが、冒頭で自転車というワードを持ち出されているから、自分は「自転車こそ人間を中心に設計した究極の乗り物だろう」と瞬時に誤解した。
こんな不毛なやり取りが自分の頭の中で一進一退永遠と繰り返されるという頭の体操もとい拷問。

自転車にしても自動車にしてもコンピュータを積んで自律航法する話じゃあるまいし、デジタル情報端末とアナログな紙と鉛筆の比較程度で済む話を、態々乗り物の操作をここで敢えて持ち出してくれる必要は無いと思うのだが。
仮に何れを持ち出したにせよ、「コンピュータを積んでいない(介していない)から人間の手足の延長線上で直接理解出来る」と言えばいいだけの話だ。
ならばいっそうの事、下図のマインドマップの様にデジタル対アナログではなくデジデジ同士の甲乙で比較してくれた方がよっぽど分かり易い。
それを又後になって直下の引用の後に頭(文中では「アルゴリズム」と唱ってる)が二つ在るから云々と話しているわけだが、実に纏まりが悪い。

これは他の人に仕事をたのむよりも自分でやってしまったほうがラクな場合があるのに近い。理解する頭が2つあるよりも、1つの方が理解そのものはスムーズです。「知識」が溝になりうるのはそのためです。

この文章にしても自分は「他の人に仕事をたのむ」と読んだ瞬間、丸投げ的な任せる仕事、並列処理と誤解した。
無論直に直列処理と分かるのだが、「仕事を(一緒に)手伝ってもらう」と言ってくれれば躓かなかったのに。

筆者は他人の論を其の侭鵜呑みし理解吸収する能力は高い様ですが、その分アウトプットで咀嚼が出来ないというお利口さんに多いタイプ。
つまり人に教えるのが下手。
否、抜粋メモや備忘録を偶々公開していると言えばそれはそれで味なのだが、健忘症じゃあるまいし幾ら何でも自分に対してそこ迄の説明はしないだろう。
読み手を意識し更に間を持たす為に独自の見解っぽく語ろうとするから
回りくどくてややこしくなる。

詰まる所、棚橋弘季というアルゴリズムを理解するUIが自分のアルゴリズムには必要だという事だ。

0 コメント: