2008年11月30日日曜日

ビジネスドメイン『着眼着手・着想着床・着目着彩』の意味

着眼着手・着想着床・着目着彩の三つは、私が事業者と関わる前段階若しくは関わった際のゼロスタート(アイデア出し)から“1”にするアイデア導入迄の三段階を示しています。
換言するとアイデア導入という具現化への道筋の目処が立つ所迄が私の実務という事になります。
着眼着手(=マイニング)
アイデアの種となる着眼点を見出したら、直ちにアイデアの発散に着手する。

着想着床(=プランニング)
叩き台となるアイデア、即ち着想(精子)は事業主の器(卵子)とコミット(授精)し、会社という箱でプロジェクト化、即ち着床する事で初めて具現化が試みられる。着床しなければ只の自慰に終わる。

着目着彩(=コンサルティング)
事業者がプロジェクトを成功する様にリソースの特性に着目し、見えない燻った部分の彩度を上げ啓発して行く。
全ては単なる思い付きに止めず、真に迫る着想を社会の役に立つ様に世へ送り出す為の理念です。

2008年11月24日月曜日

2タイプのブレーン

ブレーンは大きく分けて放送作家他ブレストの一人としてアイデアを出す自由人(フリーランス)の様なクリエイタータイプと、経営コンサルタント他側近の一人として実効性ある助言をする専門家(スペシャリスト)の様なビジョナリータイプといる。

自分は圧倒的に前者へ当て嵌まるが、世の中では後者を指す事が多く、ブレーンことブレーントラストとは本来、学識者等のスペシャリスト(専門家)がアドバイス(助言)するコンサルタント(顧問)の集団を意味する。
その実態は、後者を気取るだけの御茶飲みカウンセラーが殆どだったりする。
前者もそういう感じは否めないが、専門家を騙らないだけ救いである。

前者は絶対的量のアウトプットが求められ、後者は絶対的確度のディレクションが求められる。

2008年11月10日月曜日

点と点を結ぶ事を線としない考え方

点と点を結び線とする考え方が恰も世の真理の様に語られるが、抑もその点が面積を有するのであれば点その物を大きく出来るし、歪んで大きく成れば線にもなる。
必ずしも直線だけが線ではないのに。

いつの間に世の中はこんなデジタル的ベクター的な、他人が単純化した手法の上辺だけ真似撮み食いして物事を見透かした気になっているプロセス無視のバカが増えたのだろう。

幾ら情報化社会でデジタル化が進もうと人の動きは筋肉を通す限りアナログだ。
確かに点と点の間隔を狭め分解能を上げればアナログに似せる事は出来るかもしれない。
しかしそれはデジタルであり、人間の思考が幾ら脳内の分子レベルで電気的にON/OFFしていようと複数の生きた細胞を介した時点で時間的連続性が生まれるのだから、創造性は矢張りアナログなのだ。

世の中は必ずしもそうした目的地(オブジェクティブ)と方向性(ベクトル)をハッキリさせるオブジェクト指向、即ち現地点から点を打つ様に離れて目的や目標を設置し逆算する理念型人間ばかりではないのだ。
製造業の職人達が後継者育成を放棄して来た頃からだろうが、無論どの時代でも産業の変革期には存在する事ではある。
もし昨日の自分を今日超えようと日々切磋琢磨する職人気質のアナログ的ラスター的な、技術を順方向に積み上げ蓄積して行く価値観型の人間を無視したら、その彼等2割という僅かな製造業で日本の屋台骨を支えている現状を蔑ろにしている事になる。
だからIT全盛で表層的なライフハック人間の声がでかかろうと、或は自分の様な頭脳労働者であっても絶対に寡黙な職人をどんな形であれ尊重し支える義務があると思っている。

2008年11月9日日曜日

周辺視界意識が左に広い理由

心臓が左にオフセットしているからです。
心臓を中心にすれば相対的に体が右へ外れているという事です。

人間は危機に直面した時、直感を司る右脳により咄嗟に心臓を中心に体を畏縮させようとする防御本能が有ります。
ですから潜在意識として先ず在るボディイメージの中心は心臓にあり、その誤差をかばう為に必然的に左視野に意識が膨らむわけです。

自動車事故で左助手席の死亡者が圧倒的に多いのは其の為で、訓練をしていないドライバはハンドルを左へ切って回避しようとします。
併せてブレーキとアクセルのペダル配置の合理性もお読みください。
更に左ハンドル・右側通行文化圏では、運転者の心臓が自動車の左外側に近いだけでなく左車線の対向車側にも近い為、日本や英国の右ハンドル・左側通行文化圏よりもドライバへの心理的ストレスが高いとされています。

以上の事から人間は左への転回・旋回、そして展開が得意と云われる理由も理解出来ると思います。

今ご覧に為っているWebブラウザのウィンドウもパソコン画面の左端に寄っていませんか?
そしてブラウザに表示されるコンテンツに対しても左上に視点が集中し、右上左下右下へと“Z”の視線移動をしてる事がGoogleのヒートマップ画像からもわかると思います。

他にも食事に出る焼き魚の御頭も左を向いて置かれていませんか?
抑も横書き文字は左から右へと書かれますよね。
これは人類が文字を扱う様になってから左脳傾向が強くなった為で、古い文字へ時代を遡ると右から左へ書かれているのが原点である事がわかります。
剣は右手、盾は左手で、更に時代を遡れば、棍棒は右手、器は左手で持ちます。

右手に打撃具を持つのは、先に述べた様に左転回防御をし易く、且つ半身で敵に対して攻撃するリーチを維持し乍ら心臓を相手から遠く後方へ置ける。
何より左手で持つより心臓から遠い右手で打撃した方が肉体的負荷が軽減される。
つまり右脳による本能的な心臓を守る保守傾向の戦いから、ペンを武器に左脳による理知的革新傾向の頭脳戦へと転じて人類は発展して行く。

正に人類は心臓を左に持って生まれた時から既に、右利きを中心とした脳の発達が必然であったと思わずにはいられません。

2008年11月3日月曜日

ライフハックは事務処理効率向上手段でしかない

ライフハック(Life Hack)ネタの殆どは、パソコンを使い事務処理効率を上げ仕事の生産性を図る事を目的にしている。
抑もがIT業界から派生した言葉であるし、IT自体も抑もが事務処理のシステム屋から派生しているので無理も無い。
従って俗事的なルーチンワーク、研究所の助手や文系サラリーマンやお役所仕事の公務員には大いに向いている。

そしてそれを手段とした上で空いた時間を創造的活動に割り当てる、若しくはブレインストーミングで集団的知性を結集しクリエイティブワークに志向させるのが本来の目的であるのだろうが、LHを実践し更にはその領域に迄到達出来る人間が一体何れ程生き残るだろうか?例え残ったとして何れ程クリエイティビティの高いアイデアが出せるのかという話なのだ。
精々“一工夫”程度が関の山だろう、無論それで大いに役に立つのであればそれはそれで構わない。
子供がマインドマップの授業を受けたものの、セントラルイメージそっちのけで単なる枝葉末節的な粗探しレベルのくだらない形態素の連想ゲームの視覚化に只管突っ走り「次々アイデアが浮かんで来る」と錯覚する様な物。無論そのくだらない行為が表層的なメンタルブロックを掘り下げるマッピング(発散作業)のトレーニングになっている事は言う迄もない。

何れにせよそんな手段だけでアイデアがポンポン浮かぶなら誰も苦労はしないし、トレーニングは飽く迄トレーニングであって即効性を期待してはいけない、多くの人がLHを過信し創造力を養うメソドとして誤解している点だ。
事実、処理の効率化のムリ・ムラ・ムダを無くす物理的精神的メソドばかりで其の先が無い。
無いのも当然である、LHと相反し言わば創造力に於いては効率化こそが敵なのだから。

私は常にパテントレベルの創造を最低ラインとして意識している。
何よりも先ずイマジネーションを掻き起たせる事が大前提となる。
従ってライフハックで役に立つのはインプットに至る前の情報の流し込み方、情報を効率的に整流化する為の導入部しかない。
其処から先を導けるのが当ブログの役目の一つだと思っている。