2009年7月9日木曜日

KJ法考案者の川喜田二郎氏が死去

未だ生きておられたというのに先ず驚かされたわけだが。。
KJ法という名称は元々「紙切れ法」で、親交のあった京大カード梅棹忠夫氏に書類に記されていたイニシャルを使う様に示唆され正式採用された。

KJ法は探検調査による実践のフィールドワークの中から生み出された発想法で、その中でカードを使い演繹から帰納に至る全体の作業を指す。
従って一般に認識されている様なカード型整理法とは大きな隔たりがあり、ブレインストーミングをカードで代替した方法に近く、一枚の紙面上で一元的に多岐へ垂直展開し書き込んで行くマインドマップよりも自由度が高い。

マインドマップは別称「脳のOS」と呼ばれるが、実際ダイナブック構想の提唱者であるアラン・ケイがその暫定物として
1973年にコンピュータのハードウエア上で初めてGUI実現したXerox(ゼロックス)のAlto(アルト)や、それをスティーブ・ウォズニアックによってソフトウエアで実現し、1983年に初のパーソナルコンピュータとして市販化された旧Apple ComputerのLisa(リサ)ではフォルダに書類を纏めるというヴァーチャルチックな情報整理法だったので、実物の三次元作業としてはKJ法の方が近く、それを紙面の二次元作業で平面展開し図式化するとマインドマップになると言えば分かり易いかもしれない。

尤も、KJ法は1951〜1953年頃にその原型が生み出されているので発想法という点に於いては元祖と言えるが、こうした作業法は辞書に見られる様なクロスリファレンスという参照法から見れば随分と後になるし、
20世紀初頭に文章をインデックスカードで形態素化するというカード型データベースの概念を提案したポール・オトレのMonographic Principle(モノグラフィック・プリンシプル)や、1930年代にそうした概念で情報を蓄積するアーカイブを創設しようとしたH.G.ウェルズWorld Brain(世界の頭脳)よりも後になるし、1945年にそれ等を全て接続して検索するという巨大頭脳の概念を論文『As We Nay Think(人の思考のように)』に記したしたヴァネヴァー・ブッシュMemexよりも後になる。
そしてそれをコンピュータで具現化したのがHypertext(ハイパーテキスト)Hypermedia(ハイパーメディア)という言葉の生みの親であり1968年にHypertext Editing System (HES) を開発したテッド・ネルソンと、マウスの生みの親であり1868年にNLS(oNLine System)を開発しGUIを初めてデモし「The Mother of All Demos(すべてのデモの母)」と賞賛されたダグラス・エンゲルバートだった。
以降、1977年にはヴァーチャル空間をシミュレートする初のハイパーメディア・アプリケーションであるAspen Movie Map(アスペン・ムービー・マップ)、80年代には初のパソコン用UNIXアプリケーションソフトのGuide、ティム・バーナーズ=リーWikiの起源とされるENQUIREを開発し80年代終わりにはNeXT上で動作するWWW(WorldWideWeb:ワールド・ワイド・ウェブ)も同氏によって開発される。
他に87年にはビル・アトキンソンによってHyperCard(ハイパーカード)がMacintosh用に開発された。
そして1992年にはマーク・アンドリーセンによって初のWWWのインターネット・ブラウザであるMosaic(モザイク)が開発され、後にNetscape Navigator、そしてFirefoxへと発展して行く。

抑も発想の元は、情報の蓄積や整理という情報を検索し引き出し易くするデータベースが脳に情報基盤として存在しなければ成らない為、KJ法はMemexを最初に具現化した方法とも言える。
詰まる所矢張り集合知の実現であり、アナログであれデジタルであれ外部若しくは自身による記憶の認知という気付きを補佐する、言わば智慧のバイオフィードバック装置と呼べるのではないだろうか。

…等と想いを廻らせました。

ご冥福をお祈りします。

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