2009年7月30日木曜日

稼ぎの無い坊主に智慧はあるのか

坊主の役目は経世在民の最高峰として、主に止観という瞑想の修行によって智慧を磨き民衆に智慧を授ける事。
即ち宗教色の薄い仏教教授の一歩手前、その経験談を踏まえ大衆向けに教授する説法が法話(法談)。

経世在民とは誰もが農業等の一次産業に携わらなくとも、夫々の適正で好きな職に就けて世の中が巧く回る事、またその好転している繋がりや状態を仕合せ(幸せ)と呼ぶ。
その共同体全体を社会と呼び、その社会的使命を果たす事に特化したコアな組織を使命共同体、即ち「会社」と呼ぶ。
因にこれを国家単位で組織すると社会主義国、血縁共同体で分離したのがヒンズー教のカースト制度である経国在民という思想。
そして日本国に於いては神仏習合として生死の死にまつわる行事を担う、これが我が国に於ける仏教徒のポジションである。

坊主が己の将来を案ずる昨今、元来人に智慧を授けるべき坊主が自分の様なコンサルから知恵を貰うという珍現象が起きている。
そんな彼等に対し上記で述べたコンセンサスを得つつ、次の様なアドバイスを以て最大枠の前提条件をぶつけている。

シャカ(釈迦)は抑も裕福な家庭に生を受けた言葉を操ってなんぼの哲学者に過ぎず、現在ある様な仏教という宗教団体は作っていないし作れとも云っていないし、自分が死んでも偶像崇拝はするなと云っている。
特に日本の仏教は中華仏教の亜流でありインド仏教の思想とは程遠い。
日本の仏像文化は、土着信仰の八百万の神による何にでも神が宿るという偶像崇拝に基づき、優れた人間をもまた神と呼ぶ気質とクラフトマンシップ(物作り精神)が合わさった神道が基礎となっている。
抑も仏教は天皇のお陰で布教された哲学系の外来宗教であるという認識を今一度再確認し、例え神仏混淆であっても日本国家の基本ソフト(OS)は風土から生まれた神道であり、仏教はデフラグ系ユーティリティソフト(因にキリスト教は赤十字なので外科手術や特効薬的なアンチウィルス系)という脇役であるという立場を認識する。
従って亜流に次ぐ亜流の末端たる日本の仏教宗派の袋小路に陥らない為に、一旦小さな枠組みを取っ払って原点に立ち帰る。

こうした事を踏まえ、愈々寺の運営状態を見て行くわけだが、そのコンセンサスが無いと問題点や改善策を指摘しても自虐的なメンタルブロック(固定観念)で一々ブレーキを掛けられ一向に事が運ばない。

詰まる所、稼げない坊主に智慧は無いが、稼げるからと言って智慧があるとは限らない。

2009年7月9日木曜日

KJ法考案者の川喜田二郎氏が死去

未だ生きておられたというのに先ず驚かされたわけだが。。
KJ法という名称は元々「紙切れ法」で、親交のあった京大カード梅棹忠夫氏に書類に記されていたイニシャルを使う様に示唆され正式採用された。

KJ法は探検調査による実践のフィールドワークの中から生み出された発想法で、その中でカードを使い演繹から帰納に至る全体の作業を指す。
従って一般に認識されている様なカード型整理法とは大きな隔たりがあり、ブレインストーミングをカードで代替した方法に近く、一枚の紙面上で一元的に多岐へ垂直展開し書き込んで行くマインドマップよりも自由度が高い。

マインドマップは別称「脳のOS」と呼ばれるが、実際ダイナブック構想の提唱者であるアラン・ケイがその暫定物として
1973年にコンピュータのハードウエア上で初めてGUI実現したXerox(ゼロックス)のAlto(アルト)や、それをスティーブ・ウォズニアックによってソフトウエアで実現し、1983年に初のパーソナルコンピュータとして市販化された旧Apple ComputerのLisa(リサ)ではフォルダに書類を纏めるというヴァーチャルチックな情報整理法だったので、実物の三次元作業としてはKJ法の方が近く、それを紙面の二次元作業で平面展開し図式化するとマインドマップになると言えば分かり易いかもしれない。

尤も、KJ法は1951〜1953年頃にその原型が生み出されているので発想法という点に於いては元祖と言えるが、こうした作業法は辞書に見られる様なクロスリファレンスという参照法から見れば随分と後になるし、
20世紀初頭に文章をインデックスカードで形態素化するというカード型データベースの概念を提案したポール・オトレのMonographic Principle(モノグラフィック・プリンシプル)や、1930年代にそうした概念で情報を蓄積するアーカイブを創設しようとしたH.G.ウェルズWorld Brain(世界の頭脳)よりも後になるし、1945年にそれ等を全て接続して検索するという巨大頭脳の概念を論文『As We Nay Think(人の思考のように)』に記したしたヴァネヴァー・ブッシュMemexよりも後になる。
そしてそれをコンピュータで具現化したのがHypertext(ハイパーテキスト)Hypermedia(ハイパーメディア)という言葉の生みの親であり1968年にHypertext Editing System (HES) を開発したテッド・ネルソンと、マウスの生みの親であり1868年にNLS(oNLine System)を開発しGUIを初めてデモし「The Mother of All Demos(すべてのデモの母)」と賞賛されたダグラス・エンゲルバートだった。
以降、1977年にはヴァーチャル空間をシミュレートする初のハイパーメディア・アプリケーションであるAspen Movie Map(アスペン・ムービー・マップ)、80年代には初のパソコン用UNIXアプリケーションソフトのGuide、ティム・バーナーズ=リーWikiの起源とされるENQUIREを開発し80年代終わりにはNeXT上で動作するWWW(WorldWideWeb:ワールド・ワイド・ウェブ)も同氏によって開発される。
他に87年にはビル・アトキンソンによってHyperCard(ハイパーカード)がMacintosh用に開発された。
そして1992年にはマーク・アンドリーセンによって初のWWWのインターネット・ブラウザであるMosaic(モザイク)が開発され、後にNetscape Navigator、そしてFirefoxへと発展して行く。

抑も発想の元は、情報の蓄積や整理という情報を検索し引き出し易くするデータベースが脳に情報基盤として存在しなければ成らない為、KJ法はMemexを最初に具現化した方法とも言える。
詰まる所矢張り集合知の実現であり、アナログであれデジタルであれ外部若しくは自身による記憶の認知という気付きを補佐する、言わば智慧のバイオフィードバック装置と呼べるのではないだろうか。

…等と想いを廻らせました。

ご冥福をお祈りします。