2008年12月27日土曜日

アイデアの防衛はどうする?

自分の場合は産業の分野を問わずにアイデアを出しているので、知的財産をパテンティング(産業財産権)とライティング(著作権)とプランニング(企画=営業秘密)の3つに大きく分けていますが、最近は企画アイデアが中心です。

そうなると、企画の一部は著作権でカバーしたり或は派生的に特許や意匠や商標も出て来たりもしますが、それ以外の主要部分は防ぎようが無く盗まれる可能性は否定出来ません。

実際問題、盗まれた事も有りますが今後一切付き合わないだけです。
NDA(機密保持契約)や信頼関係を築くのは当然ですが、他にも簡単な方法は有ります。

それは、アイデアを提示した時にさっさと見切りをつけて他者へ相手を変更する事です。
これは経験でわかった事ですが、時間を掛けてゴリ押ししても、相手が前向きに行動しなければその企画は先ず成功しないというのと、抑もが“アイデア”なので相手方も閃きの同調というコンセンサスを要するわけで長々と交渉して通すという性質の物では有りません。
ですからアイデアが是か非かは、その場の温度差と風向きで決まると言っても過言では有りません。

殊に自分の考える企画の多くは一社完結という事が少なく、相手(企業家や事業者)のリソースや力量は当然の事、B2Bの開拓を見定めているので、つまりそのアイデアによって広がるであろうビジネスのパイを主導させる為に考えているので、ビジネスセンスもとい危機感が強ければ「預からせてくれ」とその場で押さえて於こうと考えが働きます。
正に時間こそがリスクでありそれを“人・物・金”を駆使してスピード化を図ります。
当然当方もアイデアに自信を持っているわけですから、相手を素早く切り替える事で効率的に動こうとするわけです。

詰まる所「攻撃は最大の防御」という事になります。

2008年12月20日土曜日

三人寄れば文殊の知恵、千人集えば王佐の才、万人囲えば飯の種

SNS成功の鍵は1,000人集わせる事で、王たるVC(ベンチャーキャピタル)が起業家に、或は親会社が子会社化予定の企画開発室長に対して突き付ける条件だったりする。
だがそれは飽く迄事業化への第一歩に過ぎず、そこからもう一桁、即ち会員数10,000人を囲えて初めてトントンになり、辛うじてペイラインに乗るという事です。

勿論この話は一例でSNS等のソーシャルネットワークに限らず、B2Cで事業を目指す者全てに言えるマーケティングの初歩の初歩です。

2008年12月5日金曜日

サイレンマイノリティには誠実に、サイレントマジョリティには切実に

クレーマーの割合は顧客全体の20%以下、殊に悪質なクレーマというのは更にその中20%以下、即ち4人以下となる。
これは人間界に於いては避けられない事だが、そしてトラブルへの無用な発展を招かない為にクレーマ層への誠実な対応をする事で、逆にそのクレーマ層が好い広告塔となって口コミへ指向を変える事は出来る。
つまり振り子と同じ様に、口喧しい批判者は口上手い擁護者にも成るという事なのだ。
しかしこれ等は何れも頭と尻尾の前後20%以下のサイレンマイノリティに過ぎず、主体となるのは動体の残り60%以上のサイレントマジョリティという物を言わない拘りも無い極普通の多数で、消費者動向を知る上で重要なカギになって来る。
彼等の評価はアンケート調査では参考こそなれど事の本質は先ず掴めない。
何故なら意見するという行動が抑も有り得ない故のサイレントマジョリティなのだから。
つまり気に食わなければ使わない、只それだけで済まされてしまう。
だから切実な問題なのだ。
従って只管地道に顧客の行動を黙々と観察しつつ結果と照らし合わせてニーズを分析して行くしか無い。

2008年11月30日日曜日

ビジネスドメイン『着眼着手・着想着床・着目着彩』の意味

着眼着手・着想着床・着目着彩の三つは、私が事業者と関わる前段階若しくは関わった際のゼロスタート(アイデア出し)から“1”にするアイデア導入迄の三段階を示しています。
換言するとアイデア導入という具現化への道筋の目処が立つ所迄が私の実務という事になります。
着眼着手(=マイニング)
アイデアの種となる着眼点を見出したら、直ちにアイデアの発散に着手する。

着想着床(=プランニング)
叩き台となるアイデア、即ち着想(精子)は事業主の器(卵子)とコミット(授精)し、会社という箱でプロジェクト化、即ち着床する事で初めて具現化が試みられる。着床しなければ只の自慰に終わる。

着目着彩(=コンサルティング)
事業者がプロジェクトを成功する様にリソースの特性に着目し、見えない燻った部分の彩度を上げ啓発して行く。
全ては単なる思い付きに止めず、真に迫る着想を社会の役に立つ様に世へ送り出す為の理念です。

2008年11月24日月曜日

2タイプのブレーン

ブレーンは大きく分けて放送作家他ブレストの一人としてアイデアを出す自由人(フリーランス)の様なクリエイタータイプと、経営コンサルタント他側近の一人として実効性ある助言をする専門家(スペシャリスト)の様なビジョナリータイプといる。

自分は圧倒的に前者へ当て嵌まるが、世の中では後者を指す事が多く、ブレーンことブレーントラストとは本来、学識者等のスペシャリスト(専門家)がアドバイス(助言)するコンサルタント(顧問)の集団を意味する。
その実態は、後者を気取るだけの御茶飲みカウンセラーが殆どだったりする。
前者もそういう感じは否めないが、専門家を騙らないだけ救いである。

前者は絶対的量のアウトプットが求められ、後者は絶対的確度のディレクションが求められる。

2008年11月10日月曜日

点と点を結ぶ事を線としない考え方

点と点を結び線とする考え方が恰も世の真理の様に語られるが、抑もその点が面積を有するのであれば点その物を大きく出来るし、歪んで大きく成れば線にもなる。
必ずしも直線だけが線ではないのに。

いつの間に世の中はこんなデジタル的ベクター的な、他人が単純化した手法の上辺だけ真似撮み食いして物事を見透かした気になっているプロセス無視のバカが増えたのだろう。

幾ら情報化社会でデジタル化が進もうと人の動きは筋肉を通す限りアナログだ。
確かに点と点の間隔を狭め分解能を上げればアナログに似せる事は出来るかもしれない。
しかしそれはデジタルであり、人間の思考が幾ら脳内の分子レベルで電気的にON/OFFしていようと複数の生きた細胞を介した時点で時間的連続性が生まれるのだから、創造性は矢張りアナログなのだ。

世の中は必ずしもそうした目的地(オブジェクティブ)と方向性(ベクトル)をハッキリさせるオブジェクト指向、即ち現地点から点を打つ様に離れて目的や目標を設置し逆算する理念型人間ばかりではないのだ。
製造業の職人達が後継者育成を放棄して来た頃からだろうが、無論どの時代でも産業の変革期には存在する事ではある。
もし昨日の自分を今日超えようと日々切磋琢磨する職人気質のアナログ的ラスター的な、技術を順方向に積み上げ蓄積して行く価値観型の人間を無視したら、その彼等2割という僅かな製造業で日本の屋台骨を支えている現状を蔑ろにしている事になる。
だからIT全盛で表層的なライフハック人間の声がでかかろうと、或は自分の様な頭脳労働者であっても絶対に寡黙な職人をどんな形であれ尊重し支える義務があると思っている。

2008年11月9日日曜日

周辺視界意識が左に広い理由

心臓が左にオフセットしているからです。
心臓を中心にすれば相対的に体が右へ外れているという事です。

人間は危機に直面した時、直感を司る右脳により咄嗟に心臓を中心に体を畏縮させようとする防御本能が有ります。
ですから潜在意識として先ず在るボディイメージの中心は心臓にあり、その誤差をかばう為に必然的に左視野に意識が膨らむわけです。

自動車事故で左助手席の死亡者が圧倒的に多いのは其の為で、訓練をしていないドライバはハンドルを左へ切って回避しようとします。
併せてブレーキとアクセルのペダル配置の合理性もお読みください。
更に左ハンドル・右側通行文化圏では、運転者の心臓が自動車の左外側に近いだけでなく左車線の対向車側にも近い為、日本や英国の右ハンドル・左側通行文化圏よりもドライバへの心理的ストレスが高いとされています。

以上の事から人間は左への転回・旋回、そして展開が得意と云われる理由も理解出来ると思います。

今ご覧に為っているWebブラウザのウィンドウもパソコン画面の左端に寄っていませんか?
そしてブラウザに表示されるコンテンツに対しても左上に視点が集中し、右上左下右下へと“Z”の視線移動をしてる事がGoogleのヒートマップ画像からもわかると思います。

他にも食事に出る焼き魚の御頭も左を向いて置かれていませんか?
抑も横書き文字は左から右へと書かれますよね。
これは人類が文字を扱う様になってから左脳傾向が強くなった為で、古い文字へ時代を遡ると右から左へ書かれているのが原点である事がわかります。
剣は右手、盾は左手で、更に時代を遡れば、棍棒は右手、器は左手で持ちます。

右手に打撃具を持つのは、先に述べた様に左転回防御をし易く、且つ半身で敵に対して攻撃するリーチを維持し乍ら心臓を相手から遠く後方へ置ける。
何より左手で持つより心臓から遠い右手で打撃した方が肉体的負荷が軽減される。
つまり右脳による本能的な心臓を守る保守傾向の戦いから、ペンを武器に左脳による理知的革新傾向の頭脳戦へと転じて人類は発展して行く。

正に人類は心臓を左に持って生まれた時から既に、右利きを中心とした脳の発達が必然であったと思わずにはいられません。

2008年11月3日月曜日

ライフハックは事務処理効率向上手段でしかない

ライフハック(Life Hack)ネタの殆どは、パソコンを使い事務処理効率を上げ仕事の生産性を図る事を目的にしている。
抑もがIT業界から派生した言葉であるし、IT自体も抑もが事務処理のシステム屋から派生しているので無理も無い。
従って俗事的なルーチンワーク、研究所の助手や文系サラリーマンやお役所仕事の公務員には大いに向いている。

そしてそれを手段とした上で空いた時間を創造的活動に割り当てる、若しくはブレインストーミングで集団的知性を結集しクリエイティブワークに志向させるのが本来の目的であるのだろうが、LHを実践し更にはその領域に迄到達出来る人間が一体何れ程生き残るだろうか?例え残ったとして何れ程クリエイティビティの高いアイデアが出せるのかという話なのだ。
精々“一工夫”程度が関の山だろう、無論それで大いに役に立つのであればそれはそれで構わない。
子供がマインドマップの授業を受けたものの、セントラルイメージそっちのけで単なる枝葉末節的な粗探しレベルのくだらない形態素の連想ゲームの視覚化に只管突っ走り「次々アイデアが浮かんで来る」と錯覚する様な物。無論そのくだらない行為が表層的なメンタルブロックを掘り下げるマッピング(発散作業)のトレーニングになっている事は言う迄もない。

何れにせよそんな手段だけでアイデアがポンポン浮かぶなら誰も苦労はしないし、トレーニングは飽く迄トレーニングであって即効性を期待してはいけない、多くの人がLHを過信し創造力を養うメソドとして誤解している点だ。
事実、処理の効率化のムリ・ムラ・ムダを無くす物理的精神的メソドばかりで其の先が無い。
無いのも当然である、LHと相反し言わば創造力に於いては効率化こそが敵なのだから。

私は常にパテントレベルの創造を最低ラインとして意識している。
何よりも先ずイマジネーションを掻き起たせる事が大前提となる。
従ってライフハックで役に立つのはインプットに至る前の情報の流し込み方、情報を効率的に整流化する為の導入部しかない。
其処から先を導けるのが当ブログの役目の一つだと思っている。

2008年10月22日水曜日

集中力が無い?人間の集中持続時間

抑も脳は落ち着きが無く、常に新しい変化を求めセンシティブでいる為、短時間でしか集中安定活動しない。
その持続時間は僅か30秒。
但しこうした脳の活動と集中力は必ずしも一致するわけではない。

つまりある一定の方向性を以て脳の活動が活性化した時、初めて分単位から時間単位への所謂「長時間沈黙し着席して居られる集中力の有る人間」という概念表現が為される様になる。

集中力を長時間持続出来る状況は、対象が動的な場合と静的な場合、そしてそれらにどう追従して行くかの即ち4種類に分類出来る。
難易度をレベル化すると次の様になる。

  1. 動的な対象を動的に追従する
  2. 動的な対象を静的に追従する
  3. 静的な対象を動的に追従する
  4. 静的な対象を静的に追従する

動物は親から獲物の狩り方を見様見真似で学習するが、産まれたての頃は自ら狩る以前に本能的に母乳を求め食物連鎖の上に居る動物から親に身を守ってもらう必用が有るわけで、こうした行為を静的に学習していたら敵に喰われてしまう。
要は人間も大脳新皮質を取ってしまえば本能剥き出しの只の動物であると言う事だ。

つまりレベル1は、人間に於ける幼少期の内の理屈よりも暗記力を活かし優先した「習うより慣れよ」という体育界系の学習法。
これは学習障害の子供が屋外や室内で教師とボールを投げっこして体を動かし乍ら勉強したり、時間制限を設けて追い込んで防衛本能をくすぐる方法と同じである。
従ってレベル4は学習内容を脳内のみで展開する知的好奇心が必須となり、座学という変化の無い静的学習対象を黙って学んで行く事が、人間に与えられた高度な行為であるかがおわかりになるだろう。

しかしこれら勉強という学習法から見た考え方は、生理的アプローチという一側面でしかない。
何も勉強だけが集中力の全ては無い。
好きな勉強科目や仕事は当然の事、スポーツやコンテンツといった娯楽でも夢中と言う言葉の集中をする事が出来る。
むしろこちらの方が、圧倒的に日常に於ける集中持続時間が長い筈だ。

皆さんは(ビデオ)ゲームに何時間没頭した事が有りますか?中には何十時間も寝ずに飲まず食わずでやり続けた事が有る人もザラに居る筈でしょう。
ゲームをしない人でも徹夜で麻雀をしたり、或は1時間体を動かしてスポーツをしたり、或は2時間座って映画を観た経験ならある筈です。
そう、つまり集中力なんていうものは好き嫌いで数十秒から数十時間と幅広く変化するというだけの問題であって“集中力に欠ける人間”という捕らえ方がナンセンスで、他者や第三者的価値観で理由を後付けしたに過ぎないので周囲に危険を及ぼしでもしない限り、自覚の有る人は特に悩む必用は無いのです。

そして実際の所、悩む人の多くは“集中=やる気”というモチベーションの無さという問題に尽きると思いますが、矢張り手法としては学習障害のトレーニング法に倣うのが近道でしょう。
障害とは一般社会に何れだけ掛け離れ馴染めないかの度合いでレッテルされる、第三者による多数決で勝った方の価値観です。
従って皆さんの悩むやる気の無さが果たして障害と呼ばれる事に匹敵する程のものかと考えれば、学校や会社の小さなコミュニティに於けるほんの些細な事に過ぎないと気付く筈です。
そしてそんな悩みは何だかんだ言いつつもこなしてる筈です。
だからそんな事で悩んでも仕方の無い事なんです。

2008年10月18日土曜日

ブレインストーミングに欠けている2つのポイント

ブレインストーミングは「否定の禁止」「粗野の歓迎」「便乗の歓迎」の三本柱が基本とされ、アイデアの質よりも量が重視される。

しかし日本の社会風土に於いては、もっと根本的にクリアして於くべき、築いて於くべき土台がある。
それが「敬語の禁止」である。
ハッキリ言って無理である。
日本の上下関係に厳しい社内やクライアント相手に、それを都合良く臨機応変に使い分けアイデア出しをしようと言うのは到底虫が好過ぎる話。
だから自分の様な無礼極まり無い人間が第三者的にも重宝されるわけだが、もう一つ付け加えるなら「相手の目を見ない」でブレストが出来る様になれば君も立派なブレインストーマだw

目を見て話さないというのは結構重要で、「目は口程に物を言う」と言うより人によっては心理的影響を受け過ぎて思考が停滞してしまう場合がある。
特に意思表示の強い人や逆に
相手の機嫌や顔色に左右され易い人が交じっている場合、目を見た側は暗示や催眠に掛かるのと同じ状態になるので相手の顔が完全に視界から外すぐらいの注意が必用。
古代中国大陸では危機管理上、「召し使いは主君の目を見て話してはいけない」という決まりがあったぐらいだ。
従って相手の言わんとする意思を汲むにしても、音声情報であれば電話やラジオに集中する感覚、視覚情報ではマインドマップといった単語のピックアップに集中する感覚で言語的解釈からする必用がある。

殊にブレストに於いては相手の嘘を見抜く能力は必用ではなくそういう意味でも人の顔を真っ直ぐ見て話す必用は無く、要は「相手が嘘を言おうが言うまいが知った事ではなくヒントになればいい」という捕らえ方なのだ。
だから自分の欠点としては相手の嘘に対し「アリなんじゃないか」と思ってしまうので、どうでもいい軽度の嘘や逆に突拍子も無い嘘には結構騙され易い。

2008年10月16日木曜日

テレビの視聴時間を減らしつつ情報だけを効率良くかっ攫う方法

ネタ系情報番組や映画・ドラマ・アニメ・音楽・お笑い系エンターテイメント番組はオンタイムで見る必用はありません。
HDレーコーダに予約録画して後から見る習慣をつけましょう、CMやCM明けの反復の無駄を省けます。

録画手段が無い場合でネタ系情報番組は、テレビ局の番組サイトやCMや番組オープニングでの予告内容からトピックだけリストアップしさっさとググってしまえば集中して見る必用は殆ど無くなりますし、馬鹿タレントの無駄な間繋ぎを省略出来ます。

又逆にオンタイムを楽しみたい人は、2ちゃんねるの実況板を併用するとワイワイやれます。

2008年10月13日月曜日

頭脳疲労を休養する時間が無い場合の奥の手

人体のエネルギーの80%は脳が消費し疲労の原因にもなっているのだが、如何しても休む時間が取れない場合に集中力を切らさず働き続けるにはどうしたらいいのか。

実は頭脳労働者の脳疲労の原因は、大半が言語中枢を司る左脳労働によるもの。
何故そんなに疲れ易いのかと言えば、コミュニケーションを取る取らないに関係なく先ず自分自身が言語中枢を使い思考し、それを書類等に表現するのにまた言語を使うからだ。

人間の進化700-500万年の過程で人が言語能力を持つ様になったのは現在から20万年前から180万年前、文字に於いては発明し扱う様になってから僅か5300年しか経っていない。
現在扱われている文字で言えば千数百年あまり、そしてコンピュータの影響で扱う活字量が急激に肥大化したのはつい最近の数年という話で、つまり脳が未だ適応しきれていないのだ。

と言う事で私が使う最後の奥の手は、ズバリ“耳栓”である。
以下が段階を追った耳栓の活用法。

  • 睡眠中は両耳栓。
  • 一人で居る時はどんな状況でもずっと両耳栓。
  • それ以外の人数での屋内の日常生活では右耳栓。
  • ヒアリングや会議の時やブレストの時は無耳栓。
  • 屋外や自動車の運転では無耳栓。

こんな生活を10年以上している。
従って疲れているのに休めない方は、両耳、せめて右耳だけは塞いで左脳への外部刺激を防いであげてみてください。
視覚は見たくなければ目蓋を閉じられますが、聴覚は効きたくないノイズでも必ず耳に入ります。
そしてそれは無意識でも脳は勝手に音を捕らえ処理しているのです。

2008年10月8日水曜日

頭の体操には良いが…

まあ読み進めれば直ぐわかる事ですが、棚橋弘季氏の文章は走り書きなのか推敲能力が低く、読む度に頭の中を掻きむしられて整理を要求させられる。

WHATとHOWのあいだの"溝"
インタラクティブ・システムのUIデザインにおいて何故、人間中心設計が必要かという肝の部分の話です。

要するに、コンピュータは人の思考がわからないし、人はコンピュータの複雑な計算がわからないから、その仲介をするUIデザインは人間の使う側に特化して作らねばならないというヒューマンインターフェースの重要性を説いている。
こんな当たり前の事、パソコン初心者でもOSの件で教わる常識を態々自動車を持ち出して長々と説明してくれている。

自動車の設計なら人間中心設計プロセスは必要ない


飽く迄プロセスはという事で、更に読み進めれば直ぐ理解も出来るのだが、冒頭で自転車というワードを持ち出されているから、自分は「自転車こそ人間を中心に設計した究極の乗り物だろう」と瞬時に誤解した。
こんな不毛なやり取りが自分の頭の中で一進一退永遠と繰り返されるという頭の体操もとい拷問。

自転車にしても自動車にしてもコンピュータを積んで自律航法する話じゃあるまいし、デジタル情報端末とアナログな紙と鉛筆の比較程度で済む話を、態々乗り物の操作をここで敢えて持ち出してくれる必要は無いと思うのだが。
仮に何れを持ち出したにせよ、「コンピュータを積んでいない(介していない)から人間の手足の延長線上で直接理解出来る」と言えばいいだけの話だ。
ならばいっそうの事、下図のマインドマップの様にデジタル対アナログではなくデジデジ同士の甲乙で比較してくれた方がよっぽど分かり易い。
それを又後になって直下の引用の後に頭(文中では「アルゴリズム」と唱ってる)が二つ在るから云々と話しているわけだが、実に纏まりが悪い。

これは他の人に仕事をたのむよりも自分でやってしまったほうがラクな場合があるのに近い。理解する頭が2つあるよりも、1つの方が理解そのものはスムーズです。「知識」が溝になりうるのはそのためです。

この文章にしても自分は「他の人に仕事をたのむ」と読んだ瞬間、丸投げ的な任せる仕事、並列処理と誤解した。
無論直に直列処理と分かるのだが、「仕事を(一緒に)手伝ってもらう」と言ってくれれば躓かなかったのに。

筆者は他人の論を其の侭鵜呑みし理解吸収する能力は高い様ですが、その分アウトプットで咀嚼が出来ないというお利口さんに多いタイプ。
つまり人に教えるのが下手。
否、抜粋メモや備忘録を偶々公開していると言えばそれはそれで味なのだが、健忘症じゃあるまいし幾ら何でも自分に対してそこ迄の説明はしないだろう。
読み手を意識し更に間を持たす為に独自の見解っぽく語ろうとするから
回りくどくてややこしくなる。

詰まる所、棚橋弘季というアルゴリズムを理解するUIが自分のアルゴリズムには必要だという事だ。

2008年10月2日木曜日

金を使わず頭を使え、知恵が有るならカネも有る筈

 「金を使わず頭を使え」とは昔から言われていることだ。
 そして知恵を働かし使わなければ(表に出さなければ)単なる思考の記憶に過ぎず、知恵の確証にはならない。
 だから「知恵が有るならカネも有る筈」と心に留め戒めている。

 知恵の立証は必ずしも必要とせず、参考するも実行するもクライアント側の問題でありブレーンはブレーンでしかない。
 だがそれは後の信頼性に響く事でもある。

2008年9月9日火曜日

頭脳のクールダウン法

 脳が興奮して眠れない時一体どうすればいいのか。

 通常では1〜2時間ボーッと頭の整理を付けるのが望ましい。
 通勤者なら帰路の移動時間中にケリをつける人もいれば、飲み屋に立ち寄って酒という鎮静剤を使う人も少なくないだろう。
 しかし仕事のスケジュール上、直に睡眠をとらねばならない時は、超短期で収束させる手段として一般的に第三者によるハンド・マッサージが有効とされている。
 自分でやると自律神経が働いて脳が活性化してしまうからダメなのだ。

 そこで一人でも可能な方法を二つ教えたいと思う。

 先ず一つ目は、手の上に座る方法。
 胡座をかいて座面と尻の間に掌を敷いて挟み込み、全身の力を抜いてダルマの要領でゆらゆらと体全体を使って左右に揺らす。
 その際の掌の向きは上でも下でも楽な方で構わない。又胡座をかけなければ普通に座ってやってもよい。

 そしてもう一つの方法だが、この方法は少々荒療治なのでお勧めしないが手を叩き付ける方法。
 右掌を机等に数回バンと叩き付ける。
 これは一時的に左脳の興奮状態を更に上昇させ無理矢理ピークエンド迄持って行く事で、逆にそこから発生させた落差で一気に沈静化へ持って行く方法。
 心臓に急激な負荷が掛かるので、特に左手ではあまりやらない方がいい。
 自分は特に全く別の事で腹を立てたり怒りで思考に集中出来ない時によくこの方法を用いていたが、右目中心部に光視症を起こしてしまってからは恐くなってやらなくなった。

2008年8月28日木曜日

MiNDPiECE v1.0 Release3 (build428) for Mac OS Xに欲しい機能とバグ報告のマインドマップ


 昨日、KANTETSU WORKSさんに見せたら褒められました。

 近いうちにサイト・アップロード機能が装備されるかもしれないかもです。