2012年1月7日土曜日

成功者は必ずシングルタスク、マルチタスクは幻想だと唱える人々

最初に断って於きますが、マルチタスクは人間の究極の進化形です。

マルチタスクを求めるのは悪とする方々は「何も手に付けられず一向に行動に移せない状態」と分別が付いていない。
其れは単なる停滞であり処理が滞って開始すらしていない状態を意味する。

中にはマルチタスクをしてる奴なんか見た事が無いそんな人間は世の中に存在しない、SFの世界だと迄言い切る人も居る。

人間はマルチタスクを受容出来る多チャンネル状態で生まれて来る。
だから赤ん坊は処理が旨く行かない不甲斐無さに愚図り泣く。
其処から軈て聴覚に指向性が持てる様に成り、視覚も鮮明に成り、味覚は苦い物も受け付けられる様に成り、立てる様に成り、歩ける様に成り、走れる様に成る。
詰まり初期の学習段階でこそマクロ的にはシングルタスクに見えるが、実際は体のあらゆる制御で同時に処理している。
だからこそ走ったり飛び跳ねたり自転車に乗ったりドラムを叩いたりエレクトーンを弾いたり複雑な動作が可能なのだ。
無論脳自体も大脳、中脳、小脳の左右と間脳と是だけでもマルチコアプロセッサである。

只誤解して欲しく無いのは、シングルタスクが悪と謂う事ではない。
ハッキリ謂って厳密なシングルタスクは当然無理だが、動作の一つ一つ或は節々に意識を集中する単純動作繰り返し、反復動作は脳の神経回路を強固な物としマルチタスクの根幹を形成するのに非常に重要である。

是は物作りや武道や茶道等のあらゆる所作が日本文化の根幹として根付いている欠かせない習練である。
更に謂えばこうした動作を更に細かく分解し只管繰り返すトランス状態を生む小刻みなミニマル運動は音楽や踊り或は宗教を形成する人類の根幹である。

話を戻すが、所謂デスクワークでマルチタスクをこなしている人間も当然存在する。
本を複数冊広げ併読している人間を見た事は無いだろうか。
あれは別に特別な事ではない。読み始めたら一冊ちゃんと読み終える迄他へ行ってはいけないと謂う常識を知らず或は囚われなく成り本能的に身に付けた読書の術で、先天的に頭の回転が速い人、後天的に速く成った人、或は老人に其の傾向が強い。
簡単に謂うと、飽き易い人間が人並みの緩い集中力を長く持続させる為に別ジャンルの興味で乱読する事で読み続けている。
詰まり頭の回転が速い人は集中力は高く効率が良いが他より早く作業が終えてしまい興味が薄れ飽きてしまう為に其の空白を埋めるべく更に効率を上げ楽しい読書の時間を直ぐ終わらせない様にしようと複数の作業を同時にこなそうと為る。そして其れでも普通の人が1冊1冊読んで行くより早く終えてしまう。
一方老人は、頭の回転の低下を常識と謂う雛形であまり考えずに簡易的に処理し補って行く為に飽き易いから読書は元々好きなので読み掛けては別の物に手を付け集中力を持続する。尤も前の内容は疎か作業其の物を忘れたりして本当に読了出来るかは怪しいが。。

他にも複数のプロジェクトを同時にこなすデザイナや建築家も普通に見掛けるだろう。

詰まり人は同じ動作に飽きて来ると必然的に複数に手を付ける様に成る。
従ってシングルインプット→シングルアウトプット→マルチインプット→マルチアウトプットをグルグルと繰り返し乍らマクロ方向にスパイラル状(螺旋状)に人間は成長或はIT時代に於いては進化して行くと謂う事である。
其れに失敗して立ち行かなく成った人間が現状最善としてシングルタスク唱えていると謂う事で彼等も何れ気付くのではないだろうか。

モチベーションが上がらない方は是非行動を刻み階段を低くした上で、読み・書きと謂った同じ枠組みの別の興味を引くジャンルの階段を用意しては如何だろうか。
何れも重要な事は一度階段を上り出したら決して立ち止まらず飽きたら別の階段へ飛び移る事。
一旦止まってしまうと動き出すのに又膨大なエネルギーを有し階段を更に小さくしなければ成らない事態に陥る。
そうすれば人間は高さを揃えたく成るのであまり上っていない低い階段の方を処理したく成る。
そして最後は複数の成果を同時発生させる事が出来ます。

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