その持続時間は僅か30秒。
但しこうした脳の活動と集中力は必ずしも一致するわけではない。
つまりある一定の方向性を以て脳の活動が活性化した時、初めて分単位から時間単位への所謂「長時間沈黙し着席して居られる集中力の有る人間」という概念表現が為される様になる。
集中力を長時間持続出来る状況は、対象が動的な場合と静的な場合、そしてそれらにどう追従して行くかの即ち4種類に分類出来る。
難易度をレベル化すると次の様になる。
- 動的な対象を動的に追従する
- 動的な対象を静的に追従する
- 静的な対象を動的に追従する
- 静的な対象を静的に追従する
動物は親から獲物の狩り方を見様見真似で学習するが、産まれたての頃は自ら狩る以前に本能的に母乳を求め食物連鎖の上に居る動物から親に身を守ってもらう必用が有るわけで、こうした行為を静的に学習していたら敵に喰われてしまう。
要は人間も大脳新皮質を取ってしまえば本能剥き出しの只の動物であると言う事だ。
つまりレベル1は、人間に於ける幼少期の内の理屈よりも暗記力を活かし優先した「習うより慣れよ」という体育界系の学習法。
これは学習障害の子供が屋外や室内で教師とボールを投げっこして体を動かし乍ら勉強したり、時間制限を設けて追い込んで防衛本能をくすぐる方法と同じである。
従ってレベル4は学習内容を脳内のみで展開する知的好奇心が必須となり、座学という変化の無い静的学習対象を黙って学んで行く事が、人間に与えられた高度な行為であるかがおわかりになるだろう。
しかしこれら勉強という学習法から見た考え方は、生理的アプローチという一側面でしかない。
何も勉強だけが集中力の全ては無い。
好きな勉強科目や仕事は当然の事、スポーツやコンテンツといった娯楽でも夢中と言う言葉の集中をする事が出来る。
むしろこちらの方が、圧倒的に日常に於ける集中持続時間が長い筈だ。
皆さんは(ビデオ)ゲームに何時間没頭した事が有りますか?中には何十時間も寝ずに飲まず食わずでやり続けた事が有る人もザラに居る筈でしょう。
ゲームをしない人でも徹夜で麻雀をしたり、或は1時間体を動かしてスポーツをしたり、或は2時間座って映画を観た経験ならある筈です。
そう、つまり集中力なんていうものは好き嫌いで数十秒から数十時間と幅広く変化するというだけの問題であって“集中力に欠ける人間”という捕らえ方がナンセンスで、他者や第三者的価値観で理由を後付けしたに過ぎないので周囲に危険を及ぼしでもしない限り、自覚の有る人は特に悩む必用は無いのです。
そして実際の所、悩む人の多くは“集中=やる気”というモチベーションの無さという問題に尽きると思いますが、矢張り手法としては学習障害のトレーニング法に倣うのが近道でしょう。
障害とは一般社会に何れだけ掛け離れ馴染めないかの度合いでレッテルされる、第三者による多数決で勝った方の価値観です。
従って皆さんの悩むやる気の無さが果たして障害と呼ばれる事に匹敵する程のものかと考えれば、学校や会社の小さなコミュニティに於けるほんの些細な事に過ぎないと気付く筈です。
そしてそんな悩みは何だかんだ言いつつもこなしてる筈です。
だからそんな事で悩んでも仕方の無い事なんです。