2008年10月22日水曜日

集中力が無い?人間の集中持続時間

抑も脳は落ち着きが無く、常に新しい変化を求めセンシティブでいる為、短時間でしか集中安定活動しない。
その持続時間は僅か30秒。
但しこうした脳の活動と集中力は必ずしも一致するわけではない。

つまりある一定の方向性を以て脳の活動が活性化した時、初めて分単位から時間単位への所謂「長時間沈黙し着席して居られる集中力の有る人間」という概念表現が為される様になる。

集中力を長時間持続出来る状況は、対象が動的な場合と静的な場合、そしてそれらにどう追従して行くかの即ち4種類に分類出来る。
難易度をレベル化すると次の様になる。

  1. 動的な対象を動的に追従する
  2. 動的な対象を静的に追従する
  3. 静的な対象を動的に追従する
  4. 静的な対象を静的に追従する

動物は親から獲物の狩り方を見様見真似で学習するが、産まれたての頃は自ら狩る以前に本能的に母乳を求め食物連鎖の上に居る動物から親に身を守ってもらう必用が有るわけで、こうした行為を静的に学習していたら敵に喰われてしまう。
要は人間も大脳新皮質を取ってしまえば本能剥き出しの只の動物であると言う事だ。

つまりレベル1は、人間に於ける幼少期の内の理屈よりも暗記力を活かし優先した「習うより慣れよ」という体育界系の学習法。
これは学習障害の子供が屋外や室内で教師とボールを投げっこして体を動かし乍ら勉強したり、時間制限を設けて追い込んで防衛本能をくすぐる方法と同じである。
従ってレベル4は学習内容を脳内のみで展開する知的好奇心が必須となり、座学という変化の無い静的学習対象を黙って学んで行く事が、人間に与えられた高度な行為であるかがおわかりになるだろう。

しかしこれら勉強という学習法から見た考え方は、生理的アプローチという一側面でしかない。
何も勉強だけが集中力の全ては無い。
好きな勉強科目や仕事は当然の事、スポーツやコンテンツといった娯楽でも夢中と言う言葉の集中をする事が出来る。
むしろこちらの方が、圧倒的に日常に於ける集中持続時間が長い筈だ。

皆さんは(ビデオ)ゲームに何時間没頭した事が有りますか?中には何十時間も寝ずに飲まず食わずでやり続けた事が有る人もザラに居る筈でしょう。
ゲームをしない人でも徹夜で麻雀をしたり、或は1時間体を動かしてスポーツをしたり、或は2時間座って映画を観た経験ならある筈です。
そう、つまり集中力なんていうものは好き嫌いで数十秒から数十時間と幅広く変化するというだけの問題であって“集中力に欠ける人間”という捕らえ方がナンセンスで、他者や第三者的価値観で理由を後付けしたに過ぎないので周囲に危険を及ぼしでもしない限り、自覚の有る人は特に悩む必用は無いのです。

そして実際の所、悩む人の多くは“集中=やる気”というモチベーションの無さという問題に尽きると思いますが、矢張り手法としては学習障害のトレーニング法に倣うのが近道でしょう。
障害とは一般社会に何れだけ掛け離れ馴染めないかの度合いでレッテルされる、第三者による多数決で勝った方の価値観です。
従って皆さんの悩むやる気の無さが果たして障害と呼ばれる事に匹敵する程のものかと考えれば、学校や会社の小さなコミュニティに於けるほんの些細な事に過ぎないと気付く筈です。
そしてそんな悩みは何だかんだ言いつつもこなしてる筈です。
だからそんな事で悩んでも仕方の無い事なんです。

2008年10月18日土曜日

ブレインストーミングに欠けている2つのポイント

ブレインストーミングは「否定の禁止」「粗野の歓迎」「便乗の歓迎」の三本柱が基本とされ、アイデアの質よりも量が重視される。

しかし日本の社会風土に於いては、もっと根本的にクリアして於くべき、築いて於くべき土台がある。
それが「敬語の禁止」である。
ハッキリ言って無理である。
日本の上下関係に厳しい社内やクライアント相手に、それを都合良く臨機応変に使い分けアイデア出しをしようと言うのは到底虫が好過ぎる話。
だから自分の様な無礼極まり無い人間が第三者的にも重宝されるわけだが、もう一つ付け加えるなら「相手の目を見ない」でブレストが出来る様になれば君も立派なブレインストーマだw

目を見て話さないというのは結構重要で、「目は口程に物を言う」と言うより人によっては心理的影響を受け過ぎて思考が停滞してしまう場合がある。
特に意思表示の強い人や逆に
相手の機嫌や顔色に左右され易い人が交じっている場合、目を見た側は暗示や催眠に掛かるのと同じ状態になるので相手の顔が完全に視界から外すぐらいの注意が必用。
古代中国大陸では危機管理上、「召し使いは主君の目を見て話してはいけない」という決まりがあったぐらいだ。
従って相手の言わんとする意思を汲むにしても、音声情報であれば電話やラジオに集中する感覚、視覚情報ではマインドマップといった単語のピックアップに集中する感覚で言語的解釈からする必用がある。

殊にブレストに於いては相手の嘘を見抜く能力は必用ではなくそういう意味でも人の顔を真っ直ぐ見て話す必用は無く、要は「相手が嘘を言おうが言うまいが知った事ではなくヒントになればいい」という捕らえ方なのだ。
だから自分の欠点としては相手の嘘に対し「アリなんじゃないか」と思ってしまうので、どうでもいい軽度の嘘や逆に突拍子も無い嘘には結構騙され易い。

2008年10月16日木曜日

テレビの視聴時間を減らしつつ情報だけを効率良くかっ攫う方法

ネタ系情報番組や映画・ドラマ・アニメ・音楽・お笑い系エンターテイメント番組はオンタイムで見る必用はありません。
HDレーコーダに予約録画して後から見る習慣をつけましょう、CMやCM明けの反復の無駄を省けます。

録画手段が無い場合でネタ系情報番組は、テレビ局の番組サイトやCMや番組オープニングでの予告内容からトピックだけリストアップしさっさとググってしまえば集中して見る必用は殆ど無くなりますし、馬鹿タレントの無駄な間繋ぎを省略出来ます。

又逆にオンタイムを楽しみたい人は、2ちゃんねるの実況板を併用するとワイワイやれます。

2008年10月13日月曜日

頭脳疲労を休養する時間が無い場合の奥の手

人体のエネルギーの80%は脳が消費し疲労の原因にもなっているのだが、如何しても休む時間が取れない場合に集中力を切らさず働き続けるにはどうしたらいいのか。

実は頭脳労働者の脳疲労の原因は、大半が言語中枢を司る左脳労働によるもの。
何故そんなに疲れ易いのかと言えば、コミュニケーションを取る取らないに関係なく先ず自分自身が言語中枢を使い思考し、それを書類等に表現するのにまた言語を使うからだ。

人間の進化700-500万年の過程で人が言語能力を持つ様になったのは現在から20万年前から180万年前、文字に於いては発明し扱う様になってから僅か5300年しか経っていない。
現在扱われている文字で言えば千数百年あまり、そしてコンピュータの影響で扱う活字量が急激に肥大化したのはつい最近の数年という話で、つまり脳が未だ適応しきれていないのだ。

と言う事で私が使う最後の奥の手は、ズバリ“耳栓”である。
以下が段階を追った耳栓の活用法。

  • 睡眠中は両耳栓。
  • 一人で居る時はどんな状況でもずっと両耳栓。
  • それ以外の人数での屋内の日常生活では右耳栓。
  • ヒアリングや会議の時やブレストの時は無耳栓。
  • 屋外や自動車の運転では無耳栓。

こんな生活を10年以上している。
従って疲れているのに休めない方は、両耳、せめて右耳だけは塞いで左脳への外部刺激を防いであげてみてください。
視覚は見たくなければ目蓋を閉じられますが、聴覚は効きたくないノイズでも必ず耳に入ります。
そしてそれは無意識でも脳は勝手に音を捕らえ処理しているのです。

2008年10月8日水曜日

頭の体操には良いが…

まあ読み進めれば直ぐわかる事ですが、棚橋弘季氏の文章は走り書きなのか推敲能力が低く、読む度に頭の中を掻きむしられて整理を要求させられる。

WHATとHOWのあいだの"溝"
インタラクティブ・システムのUIデザインにおいて何故、人間中心設計が必要かという肝の部分の話です。

要するに、コンピュータは人の思考がわからないし、人はコンピュータの複雑な計算がわからないから、その仲介をするUIデザインは人間の使う側に特化して作らねばならないというヒューマンインターフェースの重要性を説いている。
こんな当たり前の事、パソコン初心者でもOSの件で教わる常識を態々自動車を持ち出して長々と説明してくれている。

自動車の設計なら人間中心設計プロセスは必要ない


飽く迄プロセスはという事で、更に読み進めれば直ぐ理解も出来るのだが、冒頭で自転車というワードを持ち出されているから、自分は「自転車こそ人間を中心に設計した究極の乗り物だろう」と瞬時に誤解した。
こんな不毛なやり取りが自分の頭の中で一進一退永遠と繰り返されるという頭の体操もとい拷問。

自転車にしても自動車にしてもコンピュータを積んで自律航法する話じゃあるまいし、デジタル情報端末とアナログな紙と鉛筆の比較程度で済む話を、態々乗り物の操作をここで敢えて持ち出してくれる必要は無いと思うのだが。
仮に何れを持ち出したにせよ、「コンピュータを積んでいない(介していない)から人間の手足の延長線上で直接理解出来る」と言えばいいだけの話だ。
ならばいっそうの事、下図のマインドマップの様にデジタル対アナログではなくデジデジ同士の甲乙で比較してくれた方がよっぽど分かり易い。
それを又後になって直下の引用の後に頭(文中では「アルゴリズム」と唱ってる)が二つ在るから云々と話しているわけだが、実に纏まりが悪い。

これは他の人に仕事をたのむよりも自分でやってしまったほうがラクな場合があるのに近い。理解する頭が2つあるよりも、1つの方が理解そのものはスムーズです。「知識」が溝になりうるのはそのためです。

この文章にしても自分は「他の人に仕事をたのむ」と読んだ瞬間、丸投げ的な任せる仕事、並列処理と誤解した。
無論直に直列処理と分かるのだが、「仕事を(一緒に)手伝ってもらう」と言ってくれれば躓かなかったのに。

筆者は他人の論を其の侭鵜呑みし理解吸収する能力は高い様ですが、その分アウトプットで咀嚼が出来ないというお利口さんに多いタイプ。
つまり人に教えるのが下手。
否、抜粋メモや備忘録を偶々公開していると言えばそれはそれで味なのだが、健忘症じゃあるまいし幾ら何でも自分に対してそこ迄の説明はしないだろう。
読み手を意識し更に間を持たす為に独自の見解っぽく語ろうとするから
回りくどくてややこしくなる。

詰まる所、棚橋弘季というアルゴリズムを理解するUIが自分のアルゴリズムには必要だという事だ。

2008年10月2日木曜日

金を使わず頭を使え、知恵が有るならカネも有る筈

 「金を使わず頭を使え」とは昔から言われていることだ。
 そして知恵を働かし使わなければ(表に出さなければ)単なる思考の記憶に過ぎず、知恵の確証にはならない。
 だから「知恵が有るならカネも有る筈」と心に留め戒めている。

 知恵の立証は必ずしも必要とせず、参考するも実行するもクライアント側の問題でありブレーンはブレーンでしかない。
 だがそれは後の信頼性に響く事でもある。