2010年7月1日木曜日

案ずるより産むが易し…今起きている現実

最近起きている事はビジネスの異常な早さ。
とてもじゃないが大企業の多段化された権限の跨がる組織では対応出来ない。

前回、トップとしか仕事をしないと述べたが、然し偶に僅かな可能性に賭ける様に一種の戒めの儀式として10件に1度は普段と全く同じ接し方で意識的に大組織内部の人間へのコミットを試みている。
其の時の動揺たるや手に取る様に分かる。尤も逆にトップが下す様な速答で「私が上と掛け合って何とかします、遣りましょう!」なんてリアクションが来よう物なら精神性の向上は歓迎すれど自分のアイデンティティに対するアドバンテージが薄らぐ訳で更なる飛躍が求められる。

恐らく大手大企業もプライベートカンパニや中規模以下の日本の身の丈に合ったサイズとして収束して行くだろう。
大きく膨れ上がった企業も結局世界へ手足がバラバラに分散し、頭脳だけは売り飛ばさまいと日本に留まる今は権限だけがデカい図体の侭小間切れに残っている。

今後キーに成るのはそうしたB2Bし続けて来た下請け企業が世界へ向けて自社製品を打って出れるかで、クリエイティビティに重きを置くAppleに成るかプロダクティビティに重きを置く中台韓に甘んじるかの岐路に立たされている。

詰まる所、閃きを司る気付き『サティ』という悟性が重要だという事だが、彼のスティーブ・ジョブズも禅宗に傾倒した乙川弘文を師とする仏教徒で知られている。

2010年6月27日日曜日

個人知は常に組織知の先を行く…企業に於ける集団的知性の弊害

個人知は常に組織知(集合知)の先を行く。

此れが理解出来ない人はPSを沢山繋げばスパコンに成るからスパコン技術なんて要らないと本末転倒な事を云う。
勿論マクロ的な話だが、人間の脳をスパコンに例えると其れがよく分かり易い。

スパコン開発の核心は最先端高速チップ、そして其のチップ同士を高速でバイパス接続する技術。
詰まり汎用チップを本体を介してケーブルで繋ぐ何て謂うのは先行技術に対する後手後手の手段、単なるサーバ群に過ぎないのだ。

そう考えると人間に於ける集合知、即ち集団的知性とは何なのか重ね合わせてみれば、ブレインストーミングに代表される手段がプレステを繋ぎ合わせたレベルに過ぎない事がよく分かる。然も時間が限られ常時接続でもないので劣るかもしれない。
現在の所、人間の脳味噌同士を高速の侭バイパス接続する技術等無い。
そうすると残るは知能の高速化、先ずすべき事は一人一人の脳のパフォーマンスを上げる事だろう。
無論其の一環としてブレストやマインドマップは有効なトレーニング手段でもある。
だが外脳データベースとして活かし連想するのに有効な集団で行うブレストや自脳の連想能力に有効な個人で行うマインドマップにしても、四六時中常に行っている、行える訳ではない為、処理能力に於いてはどう足掻こうと集中して連続的に思考し続けられる個人の脳には敵わないのだ。
だから世の中を変える程のブレイクスルーは常に一人の天才によって為されて来た。否スパコン技術のセオリを考えれば天才発であるのは必然。

要は詰まる所コストに対する捉え方次第、脳には個性が有るし組織に迎えられるとも限らない。
従って企業組織等に於けるブレストは凡人という名の汎用チップの手段としては最善かもしれない。
然し実際の所、其の効果が生きれば生きる程、外見(飽く迄見た目)上個人の人格は目立たなくなる。
もし目立つとすれば其の人の手柄となる為、ブレストの一員を成さなくなる。
従って個性が死ぬ訳ではないので其のフラストレーションはお金や愛社精神によって転化する事になるのだが、其れも此の日本でさえネット社会によって個の存在が強くなって非常に難しくなって来ている訳だが、何れにしても目立つのは企業の社風という擬人化された仮想人格か社内で束ねるトップの人格かと謂う話になる。
そして一番の問題は正にコストの問題で、集団的知性を活かしても活かさなくても社員が只居るだけで人件費が日々刻々と掛かって行くという事だ。
だからアイデアが沢山出ても一度小利益や赤字に躓くと、優先順位として無難な物へ流れて行き易くなりリスクを避ける傾向が強くなる。
そして其の言い訳も集団的知性による解釈として合理的にコンセンサスも整ってしまう。
結果的にアイデアは沢山存在しているのに表に出て具現化される事が無い為、もし其れが一人間のしている事であれば世間では企業組織知が頭の中で思ってるだけで企業体という体は何もしていない正に体たらくという扱いにされるだろう。

恐らく私は其れを解消する存在、一つ前の記事の続きで言えばそういうポジションの役割も持っているのかも知れない。
実際そういう事がついこないだも有った。

其の話に付いては又別の機会に話せる様になったらしたいと思います。

2010年6月25日金曜日

フリーダム

「何てフリーダムな人間だ」とよく言われる。
特に社員さんには自分の仕事のポジションを不思議がられる。

至極当然というか無理も無い。
社内に学生みたいなのがポッと現れ社長の周りをフラフラしていれば休暇で親戚でも遊びに来たのかと思われる。実際其れで通す事もある。
経験上、親戚に偽装した方が部外者に対する無用な抵抗感を生ませずスムーズに事が運ばれ易くなる。
因にこんな風に「親戚です」と口添えして場に馴染ませたり採用に手心を加える様な事は昭和の時代迄は慣例的に行われていた。今は芸能界ぐらいか。
抑抑アイデアは毎回分野が異なるのでディレクタは務まらない。
「出来ませーん」「分かりませーん」と正直に言えば、親戚の小僧が道楽でベンチャーの真似事をしてるだけだろうと思ってくれるので「しょうがないなー(苦笑」と面倒を見て頂けたり、逆に最近では「こうした方がもっと面白くない?」とノリノリの場合も少なくない。
今中小企業は仕事が激減しリソースが浮きまくっている為に何もしない方が寧ろ拷問なのだ。。

然し此れは出頭の必要性が有る場合で、基本的に私は省エネなので社長がアイデアを理解出来れば社長のアイデアとして取り組んで貰うだけだ。

要は社長が儲かると判断し遣ると決断し社員の方々が具現化へ向けフォーカスしてくれさえすればいいのだ。

従って私のポジションを思考順で表せば、社長の閃きに極めて近い外脳である一方でコンサルよりも自由であるという事だ。
其れを実現しているのは個人による成功報酬制と機密保持機構だろう。組織では到底出来ない。

成功報酬型はよく一般的な固定報酬型コンサルから敵視されるが、私は単独個人でコンサルすら名乗っていないので伸び伸びと遣らせて頂いている。
アイデアで勝負する人間にコンサルなんて云う肩書も名刺も要らない。
アイデアを表現したリアルに感じ取れる情報こそが最も必要とされるリアルな現物其の物であり名刺代わりとすれば、此れ以上の強力な実弾は無いだろう。
そしてトップに単刀直入にリアルを突き付ける。其の全てが言霊かメールという飛び道具だ。

自分の仕事相手は常に組織のトップであり裏を返せばトップに直接連絡出来ない相手とはどんなに組織が小さかろうとスルーする。
ソーシャルネットワーク全盛のスピード社会で律儀に仲介人を頼るのは時間と体力と精神力の無駄と思った方がいい。必ず「どんな奴だ?」から始まるだろう。
其の度に一々名刺配って経歴等々個人情報を晒すのかという話だ。バカらしい。
人間、日本国籍、本名、前科無し、カルト信者でも無ければヤクザでもアカでも無い、勿論アイデアは盗品では無いと、此れだけ分かれば十分だろう。何を一個人相手に組織がビビってるんだという話だが、未来に背を向け眼前の表現物其の物を自分の目で評価出来ない者はどんどんスルー。

外部の私を内部の構成員から見ればゲリラ的で何様だと云う話だが多忙なエグゼクティブには歓迎され決断も早い。
正に数秒で鳧が付く勝負の世界。
問題になるのはそっから先の構成員のハンドリング。
だからトップには「私のギャラより具現化を真っ先に考える様集中してください」とお願いする。

もし断る事を念頭に具現化しない理由を拝聴出来たなら、早急に反映すべく即座に引き揚げアイデアの最適化と見込み客の再構成を図り、よりニーズの高い相手へ引き渡せる様に最善を尽くす。
そして愈々アイデアの嫁ぎ先が決まったら、其の決まった旨を元カレ全員に報告する。
此れがとても重要で、報告を受けたトップは「ほう、頑張れよ!」と男らしく祝福して頂ける一方でトップ同士の人妻に手を出してはいけないといった暗黙知的な仁義という信頼関係のバリアが構築され、嫁ぎ先のトップは安心して子作りに励める。

此れが謂わば紳士協定的な「ブレイン(頭脳)」が「インパクト(打ち出す衝撃的)」「パクト(協定)」を意味する造語『bRAiNpACT』の由来である。

凄く理に適った無駄の無いワークフローだと思いませんか?

2010年3月5日金曜日

浅田真央に伝えたいたった一つの事

現在私はメンタルトレーニングを行う仕事はしておらずそちらへブレたくないので深く言及しませんが、一言だけ言わせてください。

観客は敵ではない。

浅田真央を見ていてそう思いました。
2戦目のキム・ヨナ演技直後の話です。

彼女は貧相なイヤホンで必死に観客の歓声を打ち消そうとしていました。
観客の多くは別にキム・ヨナを目当てに来ていた訳でも、だけを応援に来ていた訳でもなく、只各国から自国の応援と多くの地元市民が良い演技を見に来ていただけです。

あの時点で既に勝敗は見えていました。否、事前練習の時から顔は強張りガチガチで終始笑顔のキム・ヨナとは対照的でした。
そして浅田真央は完全にペースを失い、演技も乱れライバルに負けました。
二人は4年前と完全にメンタリティが逆転し、本番では前回の金メダリスト荒川静香に最も近い妖艶な演技をしたキム・ヨナが何の捻りも無く勝ちました。
寧ろ驚いたのはあんなガチガチの状態で銀を取れた浅田真央の凄さでしたが、次は金を取れるでしょう。

何れにしてもあの歓声を拒否していてはどうしようもありません。
ドラゴンボールで言えば元気玉で「オメーらの元気なんて要らねーからな!」と拒絶したも同じです。
キャプテン翼流に言えば観客は友達って事です。
折角キム・ヨナが前座として観客を暖めてくれた訳ですからそのビッグウェーブに乗らない手は無かったでしょう。
スノーボードのショーン・ホワイトの独り舞台見ませんでしたか?
ですから寧ろその温場に感謝すらすべきです。

未だあと最低でも2回は五輪出場出来る筈ですから全然普通に期待しています。

2010年2月9日火曜日

1%のアイデアを笑う者は1%のアイデアに泣く

子供の頃にエジソンの伝記を読んだ人は多い筈。
私はエジソンの異常行動から名言「天才は1%の閃きと99%の努力」の一般解釈「天才でも努力する」がデマゴギーで、「天才だから1%の閃きだけで99%も努力出来るのだ」と気付き興味が失せ、中学の頃には伝記がGEの広報戦略とさえ思っていた。

後に知るのはエジソンはアスペルガー症候群で元々天才の素質を持っていたという事と、「1%の閃きが無ければ99%の努力は無駄である」という本当の言葉だった。
そしてアイデアに対する自分の取り組みが正しい事を裏付けてくれた。

日本のWeb系IT企業には、Googleにシンパシーを抱き右へ倣えで「アイデアには価値が無い、配信にこそ価値が有る」と歪んだ解釈を滔々と述べる経営者が多い。
そういう時に私は「その配信サービスのアイデアは誰が?それにも価値が無いと軽く扱って来たんですか」と社員に聞こえる様に話す。
1%のアイデアすら大切に出来ない人にアイデアが集まる筈も無く、それが企業体なら社員は不信感を持ち付いて来ない。
これはアイデアを出した本人が嫌でも遣らざるを得ない様な従業員数名の零細企業でさえも起こりうる。何故なら手柄を取られた事と同じなのだから。
企業のトップが下請けに甘んじ向上心が無い半ば上位企業に守られた社会主義的な平和惚けメンタリティだと、従業員にも自分と同じ立場を強いろうとする。
然し社員は複数居る訳で全員が社長と同じ感覚の人間な筈も無く、そうじゃない社員のフラストレーションはどんどん溜まり社内が狂い始める。

抑もGoogleのインフラ的なサービス業の思想は元々日本に広く存在し、寧ろ何でも権利化しアイデアに価値を置くアメリカの中だからこそ異端児として注目された。
要するに日本はこれ以上グーグルグーグルする必要は無かったのだ。
それを曲解して追求した結果、アイデアはアメリカからパクりローカライズするだけの自ら考える事を放棄した頭脳の無い集団と化した。

インターネット黎明期の1995年辺りにマルチメディアとかクリエータという言葉が広まったが、これはコンピュータを武器にアイデアマンとクラフトマンを一人で賄いコンテンツを作って行く能力者を意味していた。
然しここでも重点が置かれたのはアイデアのスキルではなくコンピュータのスキルだった。

日本人の多くはエジソンの伝記を読み閃きより努力が重要であると本末転倒に解釈し努力する事を目的にする。
然し日本人の救いは職人気質な努力が修行という瞑想の一つの形態として息衝いて来たという事。
即ち天才でなくとも100努力すればその内の1つは閃く瞑想の恩恵が得られ、それが年功序列のピラミッド組織の中で細々と活かされて来た。
だがこれでは光の速さで世界中を駆け巡る情報化社会で知の時代を生き抜くには、人の入れ替わりを何年も待っていたのでは遅過ぎるだけでなく何より閃きを得意とする人間が疎外され非常に効率が悪い。

アイデアに真摯でアイデアマンに紳士的な経営者の下にアイデアは集まる
今後、グローバル経済に淘汰され日本社会は必然的にそうならざるを得なくなるでしょう。
コンサルタント業自体は昔から存在しますが、よりクリエイティブな能力が問われる出来高払いな成功報酬制の流れになると思います。
キーに成るのは「リアル」と「コア」。
簡単に言えば特許が取れるレベルの智慧でアイデア化出来るか。
これは評価する側の能力にも依りますが、手の込んだプレゼンをせずとも極端な話し信頼関係が出来ていれば一言で済んでしまう様なその侭ズバリの現実的な核心を突くアイデアを出せるかです。

新規性と具現性の有る普遍性を持ったアイデアの追求
その努力を惜しまなければ車輪の様なアイデアは出せなくてもシャシーにエンジンとドライブトレーンを積んで自動車の発明は出来るでしょう。
或は電話やテープレコーダの発明が出来なくともそれらを繋げて留守番電話といったアイデアは出せるでしょう。これも立派な発明品で日本の代表的な物の一つで、枯れた技術の水平思考とは玩具発明家横井軍平氏の言葉です。

そして現在その真っ直中に居る私はデジタル社会に於ける99%の努力とはコアとなる1%のアイデアをリアルに見せる整理整頓の能力であると感じています。

2010年1月17日日曜日

フォーカス(集中)

昨年末から完全裏方の実績として社名や具体名を表に出せない仕事は辞め、出せる仕事に変えました。

仕事の内容自体は以前と変わりませんが何もかもがゼロ発進、カネもコネも無い所謂「目の前に有るのは紙と鉛筆、生きて行く為にあなたはどうしますか?」的な究極の状態の再現として自分にはMac1台という条件を課しました。

環境としては十分過ぎるでしょう。
携帯電話もやめ、通信手段は基本的に手紙か電子メールです。
名刺は既に何年も前から持っていません。
自分にとってアイデアが名刺だと覚ったからです。
発想とは本来意図して狙って湧き出る物ではなく何時どんな切っ掛けで何が思い付くか分からないもっと自由な物です。
ならば肩書きを記した紋切り型の名刺を持つ事は、本来有る筈の無い無限の可能性に満ちた現世で生きる人間の自由な発想や言動をフィールドとして意識的に固定制限し狭めている事になります。
そしてそこで生まれた様々なアイデアを具現化したいという思いに駆られました。
勿論ターゲットを絞ってアイデアを出す事は可能ですが、その過程で色んな枠外のアイデアを犠牲にしている筈です。
更にもっと突っ込んだ言い方をすれば、本来アイデアを売りにして仕事している人間であれば、稼ぐアイデアも出せる筈です。
つまり換言すれば稼ぐアイデアだけ出せませんというのはおかしいでしょうと思う訳です。そう思いませんか?

だから私は考えます、何日でも何ヶ月でも何年でも。
それは瞑想で智慧を磨くと同義で、集中して考え抜く事は発想の回路を強化するのに非常に重要です。

環境を集中し思考を集中する。
何の為に?
そう、一番重要な事は目的への集中です。
先ほど様々なアイデアがあると申しましたが、分野はそれこそ家庭用雑貨から軍事兵器迄有ります。
自分にとっては大事な子供で一つ一つ大切に着実に育てたいと思っています。
だから複数同時進行的に着手するのは危険であると判断して三つに絞りました。

さて、上述して来た事は、近い将来オンライン化が進めばスタンダードなビジネススタイルになると考えています。
既にノマドワーカーなプログラマ等はそれに近いスタンスで活動されています。
オンライン上で活動しているので名刺や実績はWebサイトになり、欧米ではフリーランスは自前のWebサイトが完全に身分証明の代替、信頼性の担保と化しています。
オフ会で集まっても面と向かって喋らず、パソコンに向かいチャットをして文字で遣り取りしている姿も今や珍しくありません。
人見知りや冷静な対話には文字コミュニケーションは最適で日本人向きです。

終身雇用が崩壊した昨今、国民総フリーランス時代そして知の時代へ向け、自分のビジネススタイルを人柱として披露して行きたいと考えています。
その話のネタに先ほどの三つがなる訳です。
この先どうなるかは分かりませんが、爪痕だけでも残す所存であります!

2009年11月4日水曜日

組織内で起こるブレインストーミングの問題点

ブレインストーミングの導入に関しては以前、ブレインストーミングに欠けている2つのポイントで書きましたが、今回は運用について述べようと思います。

先ず、時間軸に乗って一方向に突っ走り易い問題。
そこで速記者が必要不可欠となる。
誰も読めない速記文字は必要ありませんが、発言を素早く全部書き出して行く人が必要になります。
平面上へ書き出し二次元化する事で容易に時間軸を遡って連想のブランチ(枝)を生い茂らしブレストの問題を緩和出来ます。

次に、馴れ合いによる飽和という問題。
早い話がなかよしクラブ化、しかも敬語でw
どんなに社内を幼稚な玩具カラーに演出したり、充実した自由で風通しの良い環境を提供しても子供の様には成れない、戻れない。
よく考えてみてください。自分の学校がそんな環境でしたか?何処にでもある判を捺した様な殺風景な教室だったでしょう。
何より人、社内に殴り合いの喧嘩や噛み合い引っ掻き合いのゴタゴタも暴力教師も居ないでしょう。
従ってこれは如何しても避けられない現象で、阿吽の呼吸で「いいね」「それいいね」と当人達は初心と変わらずやっているつもりだろうけども、同じ組織内やコミュニティでブレストを繰り返すとある種の暗黙の型が出来てしまい、それが初めの内は会社の個性というカラーと思えるかもしれないが、その上位に来るのが多様性だった事を忘れて行き、傍からは「オマエラ馬鹿だろ、こりゃダメだわ終わってる」と賞味期限切れのクリエイタを嘲笑う様に見放されて行く。そして「これがいいんじゃないか、所詮、凡人にはわからないんだよ」と自らも閉じて孤立して行く。

これが一番恐い
抑もブレストはアイデアの価値に順位付けが出来ない無頓着な凡人でこそ有効であり発揮するもの。
ブレストのスペシャリストとはそれが上手いのであって、ブレインストーマ=アイデアマンではないのです。
特にブレストを売りに目的化し易い組織は陥り易くトップに危機感が無いと継続は難しい。
社員を何年も社外へ飛ばすか、外部の人間を社内へガンガン送り込むしか方法はありません。
つまりどんなに風通しよく設計してもその窓を実際に開放しなければ意味が無いのです。

2009年8月11日火曜日

実川欣伸さん66歳が富士山登頂通算666回達成

7月22日にNHK『熱中時間』で紹介されたのは佐々木茂良さん(69)で別人です。
この方も600回弱登っており定年退職後日帰りで略毎日登ってるらしく、帰りには金時山に登り、ゴルフの打ちっ放しをするのが日課だとか。

今回666回達成された方は沼津在住で、東レ三島工場関連子会社の東平商会出身みたいです。
そういえば今日朝方の地震は震度6でしたね。

うちの父親も実川さんと同じく66歳で東レ三島出身で、今年100回目の富士山登頂と成りました。

全員、キレる老人こと団塊の世代の中心層で元気ですね(笑

因に私は小1から3回登り、内1回は台風で一人山小屋に置いて行かれ登頂していません。
8合目で富士山の雪解け水のお風呂に入ったのはいい思い出です。

2009年7月30日木曜日

稼ぎの無い坊主に智慧はあるのか

坊主の役目は経世在民の最高峰として、主に止観という瞑想の修行によって智慧を磨き民衆に智慧を授ける事。
即ち宗教色の薄い仏教教授の一歩手前、その経験談を踏まえ大衆向けに教授する説法が法話(法談)。

経世在民とは誰もが農業等の一次産業に携わらなくとも、夫々の適正で好きな職に就けて世の中が巧く回る事、またその好転している繋がりや状態を仕合せ(幸せ)と呼ぶ。
その共同体全体を社会と呼び、その社会的使命を果たす事に特化したコアな組織を使命共同体、即ち「会社」と呼ぶ。
因にこれを国家単位で組織すると社会主義国、血縁共同体で分離したのがヒンズー教のカースト制度である経国在民という思想。
そして日本国に於いては神仏習合として生死の死にまつわる行事を担う、これが我が国に於ける仏教徒のポジションである。

坊主が己の将来を案ずる昨今、元来人に智慧を授けるべき坊主が自分の様なコンサルから知恵を貰うという珍現象が起きている。
そんな彼等に対し上記で述べたコンセンサスを得つつ、次の様なアドバイスを以て最大枠の前提条件をぶつけている。

シャカ(釈迦)は抑も裕福な家庭に生を受けた言葉を操ってなんぼの哲学者に過ぎず、現在ある様な仏教という宗教団体は作っていないし作れとも云っていないし、自分が死んでも偶像崇拝はするなと云っている。
特に日本の仏教は中華仏教の亜流でありインド仏教の思想とは程遠い。
日本の仏像文化は、土着信仰の八百万の神による何にでも神が宿るという偶像崇拝に基づき、優れた人間をもまた神と呼ぶ気質とクラフトマンシップ(物作り精神)が合わさった神道が基礎となっている。
抑も仏教は天皇のお陰で布教された哲学系の外来宗教であるという認識を今一度再確認し、例え神仏混淆であっても日本国家の基本ソフト(OS)は風土から生まれた神道であり、仏教はデフラグ系ユーティリティソフト(因にキリスト教は赤十字なので外科手術や特効薬的なアンチウィルス系)という脇役であるという立場を認識する。
従って亜流に次ぐ亜流の末端たる日本の仏教宗派の袋小路に陥らない為に、一旦小さな枠組みを取っ払って原点に立ち帰る。

こうした事を踏まえ、愈々寺の運営状態を見て行くわけだが、そのコンセンサスが無いと問題点や改善策を指摘しても自虐的なメンタルブロック(固定観念)で一々ブレーキを掛けられ一向に事が運ばない。

詰まる所、稼げない坊主に智慧は無いが、稼げるからと言って智慧があるとは限らない。

2009年7月9日木曜日

KJ法考案者の川喜田二郎氏が死去

未だ生きておられたというのに先ず驚かされたわけだが。。
KJ法という名称は元々「紙切れ法」で、親交のあった京大カードの梅棹忠夫氏に書類に記されていたイニシャルを使う様に示唆され正式採用された。

KJ法は探検調査による実践のフィールドワークの中から生み出された発想法で、その中でカードを使い演繹から帰納に至る全体の作業を指す。
従って一般に認識されている様なカード型整理法とは大きな隔たりがあり、ブレインストーミングをカードで代替した方法に近く、一枚の紙面上で一元的に多岐へ垂直展開し書き込んで行くマインドマップよりも自由度が高い。

マインドマップは別称「脳のOS」と呼ばれるが、実際ダイナブック構想の提唱者であるアラン・ケイがその暫定物として
1973年にコンピュータのハードウエア上で初めてGUIを実現したXerox(ゼロックス)のAlto(アルト)や、それをスティーブ・ウォズニアックによってソフトウエアで実現し、1983年に初のパーソナルコンピュータとして市販化された旧Apple ComputerのLisa(リサ)ではフォルダに書類を纏めるというヴァーチャルチックな情報整理法だったので、実物の三次元作業としてはKJ法の方が近く、それを紙面の二次元作業で平面展開し図式化するとマインドマップになると言えば分かり易いかもしれない。

尤も、KJ法は1951〜1953年頃にその原型が生み出されているので発想法という点に於いては元祖と言えるが、こうした作業法は辞書に見られる様なクロスリファレンスという参照法から見れば随分と後になるし、
20世紀初頭に文章をインデックスカードで形態素化するというカード型データベースの概念を提案したポール・オトレのMonographic Principle(モノグラフィック・プリンシプル)や、1930年代にそうした概念で情報を蓄積するアーカイブを創設しようとしたH.G.ウェルズのWorld Brain(世界の頭脳)よりも後になるし、1945年にそれ等を全て接続して検索するという巨大頭脳の概念を論文『As We Nay Think(人の思考のように)』に記したしたヴァネヴァー・ブッシュのMemexよりも後になる。
そしてそれをコンピュータで具現化したのがHypertext(ハイパーテキスト)やHypermedia(ハイパーメディア)という言葉の生みの親であり1968年にHypertext Editing System (HES) を開発したテッド・ネルソンと、マウスの生みの親であり1868年にNLS(oNLine System)を開発しGUIを初めてデモし「The Mother of All Demos(すべてのデモの母)」と賞賛されたダグラス・エンゲルバートだった。
以降、1977年にはヴァーチャル空間をシミュレートする初のハイパーメディア・アプリケーションであるAspen Movie Map(アスペン・ムービー・マップ)、80年代には初のパソコン用UNIXアプリケーションソフトのGuide、ティム・バーナーズ=リーがWikiの起源とされるENQUIREを開発し80年代終わりにはNeXT上で動作するWWW(WorldWideWeb:ワールド・ワイド・ウェブ)も同氏によって開発される。
他に87年にはビル・アトキンソンによってHyperCard(ハイパーカード)がMacintosh用に開発された。
そして1992年にはマーク・アンドリーセンによって初のWWWのインターネット・ブラウザであるMosaic(モザイク)が開発され、後にNetscape Navigator、そしてFirefoxへと発展して行く。

抑も発想の元は、情報の蓄積や整理という情報を検索し引き出し易くするデータベースが脳に情報基盤として存在しなければ成らない為、KJ法はMemexを最初に具現化した方法とも言える。
詰まる所矢張り集合知の実現であり、アナログであれデジタルであれ外部若しくは自身による記憶の認知という気付きを補佐する、言わば智慧のバイオフィードバック装置と呼べるのではないだろうか。

…等と想いを廻らせました。

ご冥福をお祈りします。