2012年1月7日土曜日

成功者は必ずシングルタスク、マルチタスクは幻想だと唱える人々

最初に断って於きますが、マルチタスクは人間の究極の進化形です。

マルチタスクを求めるのは悪とする方々は「何も手に付けられず一向に行動に移せない状態」と分別が付いていない。
其れは単なる停滞であり処理が滞って開始すらしていない状態を意味する。

中にはマルチタスクをしてる奴なんか見た事が無いそんな人間は世の中に存在しない、SFの世界だと迄言い切る人も居る。

人間はマルチタスクを受容出来る多チャンネル状態で生まれて来る。
だから赤ん坊は処理が旨く行かない不甲斐無さに愚図り泣く。
其処から軈て聴覚に指向性が持てる様に成り、視覚も鮮明に成り、味覚は苦い物も受け付けられる様に成り、立てる様に成り、歩ける様に成り、走れる様に成る。
詰まり初期の学習段階でこそマクロ的にはシングルタスクに見えるが、実際は体のあらゆる制御で同時に処理している。
だからこそ走ったり飛び跳ねたり自転車に乗ったりドラムを叩いたりエレクトーンを弾いたり複雑な動作が可能なのだ。
無論脳自体も大脳、中脳、小脳の左右と間脳と是だけでもマルチコアプロセッサである。

只誤解して欲しく無いのは、シングルタスクが悪と謂う事ではない。
ハッキリ謂って厳密なシングルタスクは当然無理だが、動作の一つ一つ或は節々に意識を集中する単純動作繰り返し、反復動作は脳の神経回路を強固な物としマルチタスクの根幹を形成するのに非常に重要である。

是は物作りや武道や茶道等のあらゆる所作が日本文化の根幹として根付いている欠かせない習練である。
更に謂えばこうした動作を更に細かく分解し只管繰り返すトランス状態を生む小刻みなミニマル運動は音楽や踊り或は宗教を形成する人類の根幹である。

話を戻すが、所謂デスクワークでマルチタスクをこなしている人間も当然存在する。
本を複数冊広げ併読している人間を見た事は無いだろうか。
あれは別に特別な事ではない。読み始めたら一冊ちゃんと読み終える迄他へ行ってはいけないと謂う常識を知らず或は囚われなく成り本能的に身に付けた読書の術で、先天的に頭の回転が速い人、後天的に速く成った人、或は老人に其の傾向が強い。
簡単に謂うと、飽き易い人間が人並みの緩い集中力を長く持続させる為に別ジャンルの興味で乱読する事で読み続けている。
詰まり頭の回転が速い人は集中力は高く効率が良いが他より早く作業が終えてしまい興味が薄れ飽きてしまう為に其の空白を埋めるべく更に効率を上げ楽しい読書の時間を直ぐ終わらせない様にしようと複数の作業を同時にこなそうと為る。そして其れでも普通の人が1冊1冊読んで行くより早く終えてしまう。
一方老人は、頭の回転の低下を常識と謂う雛形であまり考えずに簡易的に処理し補って行く為に飽き易いから読書は元々好きなので読み掛けては別の物に手を付け集中力を持続する。尤も前の内容は疎か作業其の物を忘れたりして本当に読了出来るかは怪しいが。。

他にも複数のプロジェクトを同時にこなすデザイナや建築家も普通に見掛けるだろう。

詰まり人は同じ動作に飽きて来ると必然的に複数に手を付ける様に成る。
従ってシングルインプット→シングルアウトプット→マルチインプット→マルチアウトプットをグルグルと繰り返し乍らマクロ方向にスパイラル状(螺旋状)に人間は成長或はIT時代に於いては進化して行くと謂う事である。
其れに失敗して立ち行かなく成った人間が現状最善としてシングルタスク唱えていると謂う事で彼等も何れ気付くのではないだろうか。

モチベーションが上がらない方は是非行動を刻み階段を低くした上で、読み・書きと謂った同じ枠組みの別の興味を引くジャンルの階段を用意しては如何だろうか。
何れも重要な事は一度階段を上り出したら決して立ち止まらず飽きたら別の階段へ飛び移る事。
一旦止まってしまうと動き出すのに又膨大なエネルギーを有し階段を更に小さくしなければ成らない事態に陥る。
そうすれば人間は高さを揃えたく成るのであまり上っていない低い階段の方を処理したく成る。
そして最後は複数の成果を同時発生させる事が出来ます。

2010年7月3日土曜日

心が動いた瞬間を☆る…センシティブになって気付きを増やす

メモる重要性は言わずもがな然れど出来ずというのが皆さんの本音でしょう。

記憶のアウトプット(書き出し)の効能は脳の再認知手段であり気付きとは一つ後のプロセスになります。
其れが面倒であると。
ならばメモる必要は有りません。

先ず優先すべき事は気付きをハッキリと自覚しセンシティブになる事であって記録に残す事は二の次三の次でいいのです。
勿論記録するに越した事は有りませんが、気付きは日常の至る所で起きます。
もしあなたがメモ魔なら、メモらなかった時のショックたるや相当な時間引き摺るでしょう。
其の強迫観念を利用したのがレコーディング・ダイエットです。

勿論芸術の分野や建築の分野等、思った物を其の侭絵に描き出す能力は有るに越した事は無いしトレーニングも必要で其れが再認知たるフィードバックの方法でもあります。
然し此処で話しているメモとは意味記憶に関する言語出力が主な話です。
では本題に入ります。

目的をアウトプットによる再認知ではなく気付きの認知のみに絞ります。
要するにバイオフィードバックを利用したトレーニングの様に「ハッ」と少しでも心が揺れ動いた瞬間に何等かのアクションを起こすトレーニングをします。
其の最も手っ取り早い方法がカウンタを使う方法です。
日頃から常に持ち歩き気付いたらカチャッと押す。只其れだけです。
勿論カウンタに記録される訳ですから万歩計の様に気付きの数を計り知る事が出来ます。
インドアでインターネットばかりしてる人はネットを使います。
Twitterを遣ってる人限定ですが、TLを眺め乍ら気になるポストが有れば構わずファボる(☆を付ける)癖を付けます。
つまり気に入ろうが気に入らまいが、少しでも気になって心が動かされれば例え腹が立つ事であっても☆る訳です。
此れが一番楽な方法で然も後で簡単に見返せるしツイートで書き出せます。
Twitterの場合、短い文章が際限無くTL上を流れ続ける為、集中的に気付きのトレーニングを行うには優れた環境でしょう。
はてブもいいですが、長文向けで後で読む為に其れこそブックマークとして使ってる人が多く良い癖が付き難いでしょう。後で見返すにもTwitterの140文字以上を超えれば何に気付いたのか読み返すのが困難なので難しくなります。はてなスターはサイトで実装されてないと使えないし其れ以外でははてブ上でなので一長一短です。
其の為に更にコメント欄へコピペとなると長続きしないでしょう。
Twitterの枠に囚われず広くネットサーフィンを楽しむ中でクリッピングやコピペでサクサク遣って行きたいのであればtumblrEvernoteがお薦めです。
此れだとコンテンツの種類に囚われる事が有りません。
但し、コピペについては要注意でメモを取る行為に傾倒し思考の時間に重きが置かれてしまう為、逆にこうしたアプトプットからすると反射的に何でもかんでも書き出す癖は記憶力低下を招く可能性が有ります。
他の方法は書き出す行為とは程遠く反射的な観測なので繰り返して行く内にカウンタの場合であればカウント後に気付きを憶えていたくなるし、Twitterであれば☆った履歴を遡りたくなる様な迂路覚えという記憶力の高まりを示す記憶を思い出そうとする衝動が起きます。

こうしたトレーニングは遣ってる人と遣ってない人とでは雲泥の差です。
コピペ魔?コピペ中毒??な人なら気付きの効果は理解出来ると思います。
そして其の気付きの元である脳機能其の物のパフォーマンスを向上させるのが瞑想という事になります。

2010年7月1日木曜日

案ずるより産むが易し…今起きている現実

最近起きている事はビジネスの異常な早さ。
とてもじゃないが大企業の多段化された権限の跨がる組織では対応出来ない。

前回、トップとしか仕事をしないと述べたが、然し偶に僅かな可能性に賭ける様に一種の戒めの儀式として10件に1度は普段と全く同じ接し方で意識的に大組織内部の人間へのコミットを試みている。
其の時の動揺たるや手に取る様に分かる。尤も逆にトップが下す様な速答で「私が上と掛け合って何とかします、遣りましょう!」なんてリアクションが来よう物なら精神性の向上は歓迎すれど自分のアイデンティティに対するアドバンテージが薄らぐ訳で更なる飛躍が求められる。

恐らく大手大企業もプライベートカンパニや中規模以下の日本の身の丈に合ったサイズとして収束して行くだろう。
大きく膨れ上がった企業も結局世界へ手足がバラバラに分散し、頭脳だけは売り飛ばさまいと日本に留まる今は権限だけがデカい図体の侭小間切れに残っている。

今後キーに成るのはそうしたB2Bし続けて来た下請け企業が世界へ向けて自社製品を打って出れるかで、クリエイティビティに重きを置くAppleに成るかプロダクティビティに重きを置く中台韓に甘んじるかの岐路に立たされている。

詰まる所、閃きを司る気付き『サティ』という悟性が重要だという事だが、彼のスティーブ・ジョブズも禅宗に傾倒した乙川弘文を師とする仏教徒で知られている。

2010年6月27日日曜日

個人知は常に組織知の先を行く…企業に於ける集団的知性の弊害

個人知は常に組織知(集合知)の先を行く。

此れが理解出来ない人はPSを沢山繋げばスパコンに成るからスパコン技術なんて要らないと本末転倒な事を云う。
勿論マクロ的な話だが、人間の脳をスパコンに例えると其れがよく分かり易い。

スパコン開発の核心は最先端高速チップ、そして其のチップ同士を高速でバイパス接続する技術。
詰まり汎用チップを本体を介してケーブルで繋ぐ何て謂うのは先行技術に対する後手後手の手段、単なるサーバ群に過ぎないのだ。

そう考えると人間に於ける集合知、即ち集団的知性とは何なのか重ね合わせてみれば、ブレインストーミングに代表される手段がプレステを繋ぎ合わせたレベルに過ぎない事がよく分かる。然も時間が限られ常時接続でもないので劣るかもしれない。
現在の所、人間の脳味噌同士を高速の侭バイパス接続する技術等無い。
そうすると残るは知能の高速化、先ずすべき事は一人一人の脳のパフォーマンスを上げる事だろう。
無論其の一環としてブレストやマインドマップは有効なトレーニング手段でもある。
だが外脳データベースとして活かし連想するのに有効な集団で行うブレストや自脳の連想能力に有効な個人で行うマインドマップにしても、四六時中常に行っている、行える訳ではない為、処理能力に於いてはどう足掻こうと集中して連続的に思考し続けられる個人の脳には敵わないのだ。
だから世の中を変える程のブレイクスルーは常に一人の天才によって為されて来た。否スパコン技術のセオリを考えれば天才発であるのは必然。

要は詰まる所コストに対する捉え方次第、脳には個性が有るし組織に迎えられるとも限らない。
従って企業組織等に於けるブレストは凡人という名の汎用チップの手段としては最善かもしれない。
然し実際の所、其の効果が生きれば生きる程、外見(飽く迄見た目)上個人の人格は目立たなくなる。
もし目立つとすれば其の人の手柄となる為、ブレストの一員を成さなくなる。
従って個性が死ぬ訳ではないので其のフラストレーションはお金や愛社精神によって転化する事になるのだが、其れも此の日本でさえネット社会によって個の存在が強くなって非常に難しくなって来ている訳だが、何れにしても目立つのは企業の社風という擬人化された仮想人格か社内で束ねるトップの人格かと謂う話になる。
そして一番の問題は正にコストの問題で、集団的知性を活かしても活かさなくても社員が只居るだけで人件費が日々刻々と掛かって行くという事だ。
だからアイデアが沢山出ても一度小利益や赤字に躓くと、優先順位として無難な物へ流れて行き易くなりリスクを避ける傾向が強くなる。
そして其の言い訳も集団的知性による解釈として合理的にコンセンサスも整ってしまう。
結果的にアイデアは沢山存在しているのに表に出て具現化される事が無い為、もし其れが一人間のしている事であれば世間では企業組織知が頭の中で思ってるだけで企業体という体は何もしていない正に体たらくという扱いにされるだろう。

恐らく私は其れを解消する存在、一つ前の記事の続きで言えばそういうポジションの役割も持っているのかも知れない。
実際そういう事がついこないだも有った。

其の話に付いては又別の機会に話せる様になったらしたいと思います。

2010年6月25日金曜日

フリーダム

「何てフリーダムな人間だ」とよく言われる。
特に社員さんには自分の仕事のポジションを不思議がられる。

至極当然というか無理も無い。
社内に学生みたいなのがポッと現れ社長の周りをフラフラしていれば休暇で親戚でも遊びに来たのかと思われる。実際其れで通す事もある。
経験上、親戚に偽装した方が部外者に対する無用な抵抗感を生ませずスムーズに事が運ばれ易くなる。
因にこんな風に「親戚です」と口添えして場に馴染ませたり採用に手心を加える様な事は昭和の時代迄は慣例的に行われていた。今は芸能界ぐらいか。
抑抑アイデアは毎回分野が異なるのでディレクタは務まらない。
「出来ませーん」「分かりませーん」と正直に言えば、親戚の小僧が道楽でベンチャーの真似事をしてるだけだろうと思ってくれるので「しょうがないなー(苦笑」と面倒を見て頂けたり、逆に最近では「こうした方がもっと面白くない?」とノリノリの場合も少なくない。
今中小企業は仕事が激減しリソースが浮きまくっている為に何もしない方が寧ろ拷問なのだ。。

然し此れは出頭の必要性が有る場合で、基本的に私は省エネなので社長がアイデアを理解出来れば社長のアイデアとして取り組んで貰うだけだ。

要は社長が儲かると判断し遣ると決断し社員の方々が具現化へ向けフォーカスしてくれさえすればいいのだ。

従って私のポジションを思考順で表せば、社長の閃きに極めて近い外脳である一方でコンサルよりも自由であるという事だ。
其れを実現しているのは個人による成功報酬制と機密保持機構だろう。組織では到底出来ない。

成功報酬型はよく一般的な固定報酬型コンサルから敵視されるが、私は単独個人でコンサルすら名乗っていないので伸び伸びと遣らせて頂いている。
アイデアで勝負する人間にコンサルなんて云う肩書も名刺も要らない。
アイデアを表現したリアルに感じ取れる情報こそが最も必要とされるリアルな現物其の物であり名刺代わりとすれば、此れ以上の強力な実弾は無いだろう。
そしてトップに単刀直入にリアルを突き付ける。其の全てが言霊かメールという飛び道具だ。

自分の仕事相手は常に組織のトップであり裏を返せばトップに直接連絡出来ない相手とはどんなに組織が小さかろうとスルーする。
ソーシャルネットワーク全盛のスピード社会で律儀に仲介人を頼るのは時間と体力と精神力の無駄と思った方がいい。必ず「どんな奴だ?」から始まるだろう。
其の度に一々名刺配って経歴等々個人情報を晒すのかという話だ。バカらしい。
人間、日本国籍、本名、前科無し、カルト信者でも無ければヤクザでもアカでも無い、勿論アイデアは盗品では無いと、此れだけ分かれば十分だろう。何を一個人相手に組織がビビってるんだという話だが、未来に背を向け眼前の表現物其の物を自分の目で評価出来ない者はどんどんスルー。

外部の私を内部の構成員から見ればゲリラ的で何様だと云う話だが多忙なエグゼクティブには歓迎され決断も早い。
正に数秒で鳧が付く勝負の世界。
問題になるのはそっから先の構成員のハンドリング。
だからトップには「私のギャラより具現化を真っ先に考える様集中してください」とお願いする。

もし断る事を念頭に具現化しない理由を拝聴出来たなら、早急に反映すべく即座に引き揚げアイデアの最適化と見込み客の再構成を図り、よりニーズの高い相手へ引き渡せる様に最善を尽くす。
そして愈々アイデアの嫁ぎ先が決まったら、其の決まった旨を元カレ全員に報告する。
此れがとても重要で、報告を受けたトップは「ほう、頑張れよ!」と男らしく祝福して頂ける一方でトップ同士の人妻に手を出してはいけないといった暗黙知的な仁義という信頼関係のバリアが構築され、嫁ぎ先のトップは安心して子作りに励める。

此れが謂わば紳士協定的な「ブレイン(頭脳)」が「インパクト(打ち出す衝撃的)」「パクト(協定)」を意味する造語『bRAiNpACT』の由来である。

凄く理に適った無駄の無いワークフローだと思いませんか?

2010年3月5日金曜日

浅田真央に伝えたいたった一つの事

現在私はメンタルトレーニングを行う仕事はしておらずそちらへブレたくないので深く言及しませんが、一言だけ言わせてください。

観客は敵ではない。

浅田真央を見ていてそう思いました。
2戦目のキム・ヨナ演技直後の話です。

彼女は貧相なイヤホンで必死に観客の歓声を打ち消そうとしていました。
観客の多くは別にキム・ヨナを目当てに来ていた訳でも、だけを応援に来ていた訳でもなく、只各国から自国の応援と多くの地元市民が良い演技を見に来ていただけです。

あの時点で既に勝敗は見えていました。否、事前練習の時から顔は強張りガチガチで終始笑顔のキム・ヨナとは対照的でした。
そして浅田真央は完全にペースを失い、演技も乱れライバルに負けました。
二人は4年前と完全にメンタリティが逆転し、本番では前回の金メダリスト荒川静香に最も近い妖艶な演技をしたキム・ヨナが何の捻りも無く勝ちました。
寧ろ驚いたのはあんなガチガチの状態で銀を取れた浅田真央の凄さでしたが、次は金を取れるでしょう。

何れにしてもあの歓声を拒否していてはどうしようもありません。
ドラゴンボールで言えば元気玉で「オメーらの元気なんて要らねーからな!」と拒絶したも同じです。
キャプテン翼流に言えば観客は友達って事です。
折角キム・ヨナが前座として観客を暖めてくれた訳ですからそのビッグウェーブに乗らない手は無かったでしょう。
スノーボードのショーン・ホワイトの独り舞台見ませんでしたか?
ですから寧ろその温場に感謝すらすべきです。

未だあと最低でも2回は五輪出場出来る筈ですから全然普通に期待しています。

2010年2月9日火曜日

1%のアイデアを笑う者は1%のアイデアに泣く

子供の頃にエジソンの伝記を読んだ人は多い筈。
私はエジソンの異常行動から名言「天才は1%の閃きと99%の努力」の一般解釈「天才でも努力する」がデマゴギーで、「天才だから1%の閃きだけで99%も努力出来るのだ」と気付き興味が失せ、中学の頃には伝記がGEの広報戦略とさえ思っていた。

後に知るのはエジソンはアスペルガー症候群で元々天才の素質を持っていたという事と、「1%の閃きが無ければ99%の努力は無駄である」という本当の言葉だった。
そしてアイデアに対する自分の取り組みが正しい事を裏付けてくれた。

日本のWeb系IT企業には、Googleにシンパシーを抱き右へ倣えで「アイデアには価値が無い、配信にこそ価値が有る」と歪んだ解釈を滔々と述べる経営者が多い。
そういう時に私は「その配信サービスのアイデアは誰が?それにも価値が無いと軽く扱って来たんですか」と社員に聞こえる様に話す。
1%のアイデアすら大切に出来ない人にアイデアが集まる筈も無く、それが企業体なら社員は不信感を持ち付いて来ない。
これはアイデアを出した本人が嫌でも遣らざるを得ない様な従業員数名の零細企業でさえも起こりうる。何故なら手柄を取られた事と同じなのだから。
企業のトップが下請けに甘んじ向上心が無い半ば上位企業に守られた社会主義的な平和惚けメンタリティだと、従業員にも自分と同じ立場を強いろうとする。
然し社員は複数居る訳で全員が社長と同じ感覚の人間な筈も無く、そうじゃない社員のフラストレーションはどんどん溜まり社内が狂い始める。

抑もGoogleのインフラ的なサービス業の思想は元々日本に広く存在し、寧ろ何でも権利化しアイデアに価値を置くアメリカの中だからこそ異端児として注目された。
要するに日本はこれ以上グーグルグーグルする必要は無かったのだ。
それを曲解して追求した結果、アイデアはアメリカからパクりローカライズするだけの自ら考える事を放棄した頭脳の無い集団と化した。

インターネット黎明期の1995年辺りにマルチメディアとかクリエータという言葉が広まったが、これはコンピュータを武器にアイデアマンとクラフトマンを一人で賄いコンテンツを作って行く能力者を意味していた。
然しここでも重点が置かれたのはアイデアのスキルではなくコンピュータのスキルだった。

日本人の多くはエジソンの伝記を読み閃きより努力が重要であると本末転倒に解釈し努力する事を目的にする。
然し日本人の救いは職人気質な努力が修行という瞑想の一つの形態として息衝いて来たという事。
即ち天才でなくとも100努力すればその内の1つは閃く瞑想の恩恵が得られ、それが年功序列のピラミッド組織の中で細々と活かされて来た。
だがこれでは光の速さで世界中を駆け巡る情報化社会で知の時代を生き抜くには、人の入れ替わりを何年も待っていたのでは遅過ぎるだけでなく何より閃きを得意とする人間が疎外され非常に効率が悪い。

アイデアに真摯でアイデアマンに紳士的な経営者の下にアイデアは集まる
今後、グローバル経済に淘汰され日本社会は必然的にそうならざるを得なくなるでしょう。
コンサルタント業自体は昔から存在しますが、よりクリエイティブな能力が問われる出来高払いな成功報酬制の流れになると思います。
キーに成るのは「リアル」と「コア」。
簡単に言えば特許が取れるレベルの智慧でアイデア化出来るか。
これは評価する側の能力にも依りますが、手の込んだプレゼンをせずとも極端な話し信頼関係が出来ていれば一言で済んでしまう様なその侭ズバリの現実的な核心を突くアイデアを出せるかです。

新規性と具現性の有る普遍性を持ったアイデアの追求
その努力を惜しまなければ車輪の様なアイデアは出せなくてもシャシーにエンジンとドライブトレーンを積んで自動車の発明は出来るでしょう。
或は電話やテープレコーダの発明が出来なくともそれらを繋げて留守番電話といったアイデアは出せるでしょう。これも立派な発明品で日本の代表的な物の一つで、枯れた技術の水平思考とは玩具発明家横井軍平氏の言葉です。

そして現在その真っ直中に居る私はデジタル社会に於ける99%の努力とはコアとなる1%のアイデアをリアルに見せる整理整頓の能力であると感じています。

2010年1月17日日曜日

フォーカス(集中)

昨年末から完全裏方の実績として社名や具体名を表に出せない仕事は辞め、出せる仕事に変えました。

仕事の内容自体は以前と変わりませんが何もかもがゼロ発進、カネもコネも無い所謂「目の前に有るのは紙と鉛筆、生きて行く為にあなたはどうしますか?」的な究極の状態の再現として自分にはMac1台という条件を課しました。

環境としては十分過ぎるでしょう。
携帯電話もやめ、通信手段は基本的に手紙か電子メールです。
名刺は既に何年も前から持っていません。
自分にとってアイデアが名刺だと覚ったからです。
発想とは本来意図して狙って湧き出る物ではなく何時どんな切っ掛けで何が思い付くか分からないもっと自由な物です。
ならば肩書きを記した紋切り型の名刺を持つ事は、本来有る筈の無い無限の可能性に満ちた現世で生きる人間の自由な発想や言動をフィールドとして意識的に固定制限し狭めている事になります。
そしてそこで生まれた様々なアイデアを具現化したいという思いに駆られました。
勿論ターゲットを絞ってアイデアを出す事は可能ですが、その過程で色んな枠外のアイデアを犠牲にしている筈です。
更にもっと突っ込んだ言い方をすれば、本来アイデアを売りにして仕事している人間であれば、稼ぐアイデアも出せる筈です。
つまり換言すれば稼ぐアイデアだけ出せませんというのはおかしいでしょうと思う訳です。そう思いませんか?

だから私は考えます、何日でも何ヶ月でも何年でも。
それは瞑想で智慧を磨くと同義で、集中して考え抜く事は発想の回路を強化するのに非常に重要です。

環境を集中し思考を集中する。
何の為に?
そう、一番重要な事は目的への集中です。
先ほど様々なアイデアがあると申しましたが、分野はそれこそ家庭用雑貨から軍事兵器迄有ります。
自分にとっては大事な子供で一つ一つ大切に着実に育てたいと思っています。
だから複数同時進行的に着手するのは危険であると判断して三つに絞りました。

さて、上述して来た事は、近い将来オンライン化が進めばスタンダードなビジネススタイルになると考えています。
既にノマドワーカーなプログラマ等はそれに近いスタンスで活動されています。
オンライン上で活動しているので名刺や実績はWebサイトになり、欧米ではフリーランスは自前のWebサイトが完全に身分証明の代替、信頼性の担保と化しています。
オフ会で集まっても面と向かって喋らず、パソコンに向かいチャットをして文字で遣り取りしている姿も今や珍しくありません。
人見知りや冷静な対話には文字コミュニケーションは最適で日本人向きです。

終身雇用が崩壊した昨今、国民総フリーランス時代そして知の時代へ向け、自分のビジネススタイルを人柱として披露して行きたいと考えています。
その話のネタに先ほどの三つがなる訳です。
この先どうなるかは分かりませんが、爪痕だけでも残す所存であります!

2009年11月4日水曜日

組織内で起こるブレインストーミングの問題点

ブレインストーミングの導入に関しては以前、ブレインストーミングに欠けている2つのポイントで書きましたが、今回は運用について述べようと思います。

先ず、時間軸に乗って一方向に突っ走り易い問題。
そこで速記者が必要不可欠となる。
誰も読めない速記文字は必要ありませんが、発言を素早く全部書き出して行く人が必要になります。
平面上へ書き出し二次元化する事で容易に時間軸を遡って連想のブランチ(枝)を生い茂らしブレストの問題を緩和出来ます。

次に、馴れ合いによる飽和という問題。
早い話がなかよしクラブ化、しかも敬語でw
どんなに社内を幼稚な玩具カラーに演出したり、充実した自由で風通しの良い環境を提供しても子供の様には成れない、戻れない。
よく考えてみてください。自分の学校がそんな環境でしたか?何処にでもある判を捺した様な殺風景な教室だったでしょう。
何より人、社内に殴り合いの喧嘩や噛み合い引っ掻き合いのゴタゴタも暴力教師も居ないでしょう。
従ってこれは如何しても避けられない現象で、阿吽の呼吸で「いいね」「それいいね」と当人達は初心と変わらずやっているつもりだろうけども、同じ組織内やコミュニティでブレストを繰り返すとある種の暗黙の型が出来てしまい、それが初めの内は会社の個性というカラーと思えるかもしれないが、その上位に来るのが多様性だった事を忘れて行き、傍からは「オマエラ馬鹿だろ、こりゃダメだわ終わってる」と賞味期限切れのクリエイタを嘲笑う様に見放されて行く。そして「これがいいんじゃないか、所詮、凡人にはわからないんだよ」と自らも閉じて孤立して行く。

これが一番恐い
抑もブレストはアイデアの価値に順位付けが出来ない無頓着な凡人でこそ有効であり発揮するもの。
ブレストのスペシャリストとはそれが上手いのであって、ブレインストーマ=アイデアマンではないのです。
特にブレストを売りに目的化し易い組織は陥り易くトップに危機感が無いと継続は難しい。
社員を何年も社外へ飛ばすか、外部の人間を社内へガンガン送り込むしか方法はありません。
つまりどんなに風通しよく設計してもその窓を実際に開放しなければ意味が無いのです。

2009年8月11日火曜日

実川欣伸さん66歳が富士山登頂通算666回達成

7月22日にNHK『熱中時間』で紹介されたのは佐々木茂良さん(69)で別人です。
この方も600回弱登っており定年退職後日帰りで略毎日登ってるらしく、帰りには金時山に登り、ゴルフの打ちっ放しをするのが日課だとか。

今回666回達成された方は沼津在住で、東レ三島工場関連子会社の東平商会出身みたいです。
そういえば今日朝方の地震は震度6でしたね。

うちの父親も実川さんと同じく66歳で東レ三島出身で、今年100回目の富士山登頂と成りました。

全員、キレる老人こと団塊の世代の中心層で元気ですね(笑

因に私は小1から3回登り、内1回は台風で一人山小屋に置いて行かれ登頂していません。
8合目で富士山の雪解け水のお風呂に入ったのはいい思い出です。